Toshihiro Doi2022年11月26日読了時間: 3分「ヒミツ」を探ろう今日の大分はどんより曇り、気温もあまり上がらず冬っぽい天気だ。先日近所のとある場所へ行ったら、バラがたくさん咲いていた。寒くなるこの時期にも、ちゃんと咲く花がこんなにもたくさんあることにびっくりした。色とりどりの花を見て、ちょっと元気になった。今週も激務だった。京都出張もあり、祝日も移動になったのであっという間、多い時は6本もアポがあり、それぞれ全く違う内容だったので、どっぷりと疲れてしまった。でも今週は小学校の時の友達にも会えたので、嬉しい時間だった。友だちって大事だな、と再認識できた。私はもともと人に興味がある。だから初対面の人でもあまり臆することなく、どんどん突っ込んでいろんなことを聞いてしまう癖がある。この仕事をしていると、すごい先生たちに出会うことがよくある。そうすると、どうしてそんなすごい先生になったのか、そのルーツはどこにあるのか、もともとそういう人なのか、どこかのタイミングで変化が起きたのか、などを尋ねてしまう。いい先生が生まれた背景にはどんなものがあるのか、授業のうまさだけではなく、子どもとの距離感、ものの見方や考え方、その所作や気配りはどうして生まれたのか。たくさんのすごい先生たちに聞いていくと、どこかで共通項があるのかもしれない、と思うからだ。その共通項を集めて形にし、伝えることができれば、もしかするといい先生になる人が増えるかもしれない、などと思ったりする。それは人との出会いだったり、子どもの姿からの学びだったり、それぞれいろんなエピソードがある。でも大抵の先生はそのことを客観的に捉え、言語化することも少ない。自分のルーツを考え、人に伝えることが少ないし、そもそもそんなことを考える余裕すらないのかもしれない。自分がどうしてこの仕事を選び、何をめざして、どんな先生になりたいのか、子どもたちに何を伝え、どうなって欲しいのか。改めて思い直すことで今の立ち位置が見えることもあるかもしれない。同じように、いい授業にも「ヒミツ」はあると思う。偶発的に生まれた素晴らしい授業の瞬間、子どもたちが自分たちでどんどん発言したり、大人が思っている以上にことが進んでいったり。あとから振り返ると、「なんかすごかった」みたいな経験は、教師をしていると必ずある。誰にでもあるそんな「教師やっててよかった」という瞬間の体験を集めていくと、きっと何か得るものがある。そんなことをある自治体の研修で実施している。いい授業が起きるトリガーのようなものを見つけるのだ。その要因は一つではなく、いろいろなことが絡んでいる。同じ指導案で同じように授業をしても再現性はとても低いのが授業の難しいところだ。その瞬間に起きていることはまさにライブで、子どもたちはそんなに単純ではない。いい授業をつくる「ヒミツ」はたくさんあって、その多くは子どもたちの可能性を信じることにつながっている。よくある”発達段階に応じて”というキーワード、この学年の子どもたちはこの程度だろう、という私たちの経験則だけど、私はあまり好きではない。なんとなく子どもたちの可能性に蓋をしてしまっている気がするからだ。子どもたちの潜在能力は、端末を持ったことで引き出され、解放されつつある。前よりも格段にその瞬間は生まれやすくなっているのだ。だからこそ先生たちは蓋をするのではなく、どうすればもっと伸ばしていけるか、良さを引き出していけるかに全集中していいと思う。そのマインドセットの改革が、一番の「ヒミツ」かもしれない。
今日の大分はどんより曇り、気温もあまり上がらず冬っぽい天気だ。先日近所のとある場所へ行ったら、バラがたくさん咲いていた。寒くなるこの時期にも、ちゃんと咲く花がこんなにもたくさんあることにびっくりした。色とりどりの花を見て、ちょっと元気になった。今週も激務だった。京都出張もあり、祝日も移動になったのであっという間、多い時は6本もアポがあり、それぞれ全く違う内容だったので、どっぷりと疲れてしまった。でも今週は小学校の時の友達にも会えたので、嬉しい時間だった。友だちって大事だな、と再認識できた。私はもともと人に興味がある。だから初対面の人でもあまり臆することなく、どんどん突っ込んでいろんなことを聞いてしまう癖がある。この仕事をしていると、すごい先生たちに出会うことがよくある。そうすると、どうしてそんなすごい先生になったのか、そのルーツはどこにあるのか、もともとそういう人なのか、どこかのタイミングで変化が起きたのか、などを尋ねてしまう。いい先生が生まれた背景にはどんなものがあるのか、授業のうまさだけではなく、子どもとの距離感、ものの見方や考え方、その所作や気配りはどうして生まれたのか。たくさんのすごい先生たちに聞いていくと、どこかで共通項があるのかもしれない、と思うからだ。その共通項を集めて形にし、伝えることができれば、もしかするといい先生になる人が増えるかもしれない、などと思ったりする。それは人との出会いだったり、子どもの姿からの学びだったり、それぞれいろんなエピソードがある。でも大抵の先生はそのことを客観的に捉え、言語化することも少ない。自分のルーツを考え、人に伝えることが少ないし、そもそもそんなことを考える余裕すらないのかもしれない。自分がどうしてこの仕事を選び、何をめざして、どんな先生になりたいのか、子どもたちに何を伝え、どうなって欲しいのか。改めて思い直すことで今の立ち位置が見えることもあるかもしれない。同じように、いい授業にも「ヒミツ」はあると思う。偶発的に生まれた素晴らしい授業の瞬間、子どもたちが自分たちでどんどん発言したり、大人が思っている以上にことが進んでいったり。あとから振り返ると、「なんかすごかった」みたいな経験は、教師をしていると必ずある。誰にでもあるそんな「教師やっててよかった」という瞬間の体験を集めていくと、きっと何か得るものがある。そんなことをある自治体の研修で実施している。いい授業が起きるトリガーのようなものを見つけるのだ。その要因は一つではなく、いろいろなことが絡んでいる。同じ指導案で同じように授業をしても再現性はとても低いのが授業の難しいところだ。その瞬間に起きていることはまさにライブで、子どもたちはそんなに単純ではない。いい授業をつくる「ヒミツ」はたくさんあって、その多くは子どもたちの可能性を信じることにつながっている。よくある”発達段階に応じて”というキーワード、この学年の子どもたちはこの程度だろう、という私たちの経験則だけど、私はあまり好きではない。なんとなく子どもたちの可能性に蓋をしてしまっている気がするからだ。子どもたちの潜在能力は、端末を持ったことで引き出され、解放されつつある。前よりも格段にその瞬間は生まれやすくなっているのだ。だからこそ先生たちは蓋をするのではなく、どうすればもっと伸ばしていけるか、良さを引き出していけるかに全集中していいと思う。そのマインドセットの改革が、一番の「ヒミツ」かもしれない。
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