Toshihiro Doi2021年7月2日読了時間: 3分アップデートできる人、創造できる人今週はとっても忙しい一週間だった。東京出張もあり2泊3日だったが、両日とも宿に着いたのは22時半よりも遅く、終日びっちり忙しかった。それでも何かを創造することの楽しさは味わえたし、この仕事が多くの人たちのためになる、と思えばやりがいはある。戻ってからも対面での180人以上の参加者の講演会、そのままオンラインで各学校のリーダー研修、などなど、盛りだくさんの1週間だった。スッキリ晴れる日も少なく、曇りがちだったり、大雨に遭遇したり、暑いのにジメジメしたいかにも梅雨らしい天気は続く。もう少しの辛抱ではあるが早く大好きな夏が来てほしい。週末は海でSUPで、のんびり過ごしたい。さて、今週のブログは「アップデートできる人、創造できる人」というタイトルにした。色々な講演会や研修の中で教員の授業観をアップデートしよう!という話をすることが多い。私もそうだったが、経験の浅い年代の教員の多くは、自分自身が子どもの時代に受けてきた教員の授業に憧れて先生になることが多い。残念ながら大学生活の中で授業力を高めるような教育はあまりされていないので、いきなり大海に放り出され、学級経営や授業を任された多くの教員は、とりあえず自分が受けてきた教育の中で、よかった授業を振り返り、マネることからのスタートになる。現状では制度的に仕方ないところも理解できるし、それが最善な方法でもある。しかし今は教育の大改革の真っ只中だ。150年変わることなく続いてきた教育のあり方や授業スタイル、授業デザインが、根底からひっくり返るくらいの転換期にある。そんな中で、自分が子どもの時に受けてきた授業をマネることが正しい選択なのだろうか?少なくとも10年近く前に受けた、いい授業の記憶を辿って自分の授業を構築することは、これからの教育改革の中ではすでに時代錯誤で、陳腐なものなのかもしれない。何よりこの情報化の大きなうねりや、DX(デジタルトランスフォーメーション)の時代を生きる子どもたちに対して、合っているのだろうか?これからの未来を創る子どもたちにとって10年前の授業デザインがマッチングするだろうか?講演会の中でこんな質問が来た。ICTを活用した授業に若い先生がチャレンジしたところ、板書の必要性や、鉛筆で書くことの大切さを疎かにした授業はいかがなものか、と指導され、まずは授業の基本を身につけなさい、と言われた。という話があった。これまでに積み上げてきた日本の教育のスタイルは、一斉講義型としては世界一だと言われている。板書の構造化や授業の流し方、効率よく知識を習得し、底上げを図っていくスタイルは評価もされている。しかし、これからやってくる未来はきっとそれでは太刀打ちできない。予測困難な未来を生き抜き、未知の課題に対応できるのは、個の力だけではなく、チームビルドや連携、協働の力だ。そのための授業の在り方は間違いなくこれまでとは違う。時代錯誤な先輩の指導は、残念ながら足枷になることも多い。授業の一番の評価者は子どもたちであるべきだ。子どもたちが有益と感じ、学ぶことが楽しいと感じられる授業、必要な力が身に付いていると実感できることが、最大の評価軸だと思う。精神論や根性論、古き良き時代の教育を語ることは、これからの時代にそぐわないかもしれない。そのために授業観をアップデートし、創造できる教員がこれからの時代には必要だ。そういう意味では、若い先生に期待するところは大きい。ある一定の年齢になると、アップデートできる教員の数は少なくなる。凝り固まった教育観や多くの成功体験がそれを邪魔するからだ。だからこそ、子どもを主役に据えた授業デザインを、0から創造していくことが求められている。若い先生にはたくさん期待するし、無条件に応援したい。子どもたちの年齢に近いからこそ見える景色がきっとある。だから若い先生を育てることはとっても楽しい。
今週はとっても忙しい一週間だった。東京出張もあり2泊3日だったが、両日とも宿に着いたのは22時半よりも遅く、終日びっちり忙しかった。それでも何かを創造することの楽しさは味わえたし、この仕事が多くの人たちのためになる、と思えばやりがいはある。戻ってからも対面での180人以上の参加者の講演会、そのままオンラインで各学校のリーダー研修、などなど、盛りだくさんの1週間だった。スッキリ晴れる日も少なく、曇りがちだったり、大雨に遭遇したり、暑いのにジメジメしたいかにも梅雨らしい天気は続く。もう少しの辛抱ではあるが早く大好きな夏が来てほしい。週末は海でSUPで、のんびり過ごしたい。さて、今週のブログは「アップデートできる人、創造できる人」というタイトルにした。色々な講演会や研修の中で教員の授業観をアップデートしよう!という話をすることが多い。私もそうだったが、経験の浅い年代の教員の多くは、自分自身が子どもの時代に受けてきた教員の授業に憧れて先生になることが多い。残念ながら大学生活の中で授業力を高めるような教育はあまりされていないので、いきなり大海に放り出され、学級経営や授業を任された多くの教員は、とりあえず自分が受けてきた教育の中で、よかった授業を振り返り、マネることからのスタートになる。現状では制度的に仕方ないところも理解できるし、それが最善な方法でもある。しかし今は教育の大改革の真っ只中だ。150年変わることなく続いてきた教育のあり方や授業スタイル、授業デザインが、根底からひっくり返るくらいの転換期にある。そんな中で、自分が子どもの時に受けてきた授業をマネることが正しい選択なのだろうか?少なくとも10年近く前に受けた、いい授業の記憶を辿って自分の授業を構築することは、これからの教育改革の中ではすでに時代錯誤で、陳腐なものなのかもしれない。何よりこの情報化の大きなうねりや、DX(デジタルトランスフォーメーション)の時代を生きる子どもたちに対して、合っているのだろうか?これからの未来を創る子どもたちにとって10年前の授業デザインがマッチングするだろうか?講演会の中でこんな質問が来た。ICTを活用した授業に若い先生がチャレンジしたところ、板書の必要性や、鉛筆で書くことの大切さを疎かにした授業はいかがなものか、と指導され、まずは授業の基本を身につけなさい、と言われた。という話があった。これまでに積み上げてきた日本の教育のスタイルは、一斉講義型としては世界一だと言われている。板書の構造化や授業の流し方、効率よく知識を習得し、底上げを図っていくスタイルは評価もされている。しかし、これからやってくる未来はきっとそれでは太刀打ちできない。予測困難な未来を生き抜き、未知の課題に対応できるのは、個の力だけではなく、チームビルドや連携、協働の力だ。そのための授業の在り方は間違いなくこれまでとは違う。時代錯誤な先輩の指導は、残念ながら足枷になることも多い。授業の一番の評価者は子どもたちであるべきだ。子どもたちが有益と感じ、学ぶことが楽しいと感じられる授業、必要な力が身に付いていると実感できることが、最大の評価軸だと思う。精神論や根性論、古き良き時代の教育を語ることは、これからの時代にそぐわないかもしれない。そのために授業観をアップデートし、創造できる教員がこれからの時代には必要だ。そういう意味では、若い先生に期待するところは大きい。ある一定の年齢になると、アップデートできる教員の数は少なくなる。凝り固まった教育観や多くの成功体験がそれを邪魔するからだ。だからこそ、子どもを主役に据えた授業デザインを、0から創造していくことが求められている。若い先生にはたくさん期待するし、無条件に応援したい。子どもたちの年齢に近いからこそ見える景色がきっとある。だから若い先生を育てることはとっても楽しい。
Comments