Toshihiro Doi2021年8月7日読了時間: 3分テクノロジーとグローバル今週も毎日暑い日が続いた。オリンピックを毎日ぼんやり見ていると、いろいろと思う事もある。レジェンドと言われ、期待されていた人は予選で敗れ、10代の若者がのびのびと活躍し、メダルを取っていく。いわゆる子どもの世代がメダルを取って、笑顔で世界に羽ばたく様子は、単純にうれしくて、なんだかワクワクする。今大会の新しい競技も、どれも面白い。感染拡大は止まらず、いろいろと制限の多い毎日だ。予定していた研修や仕事も、オンラインになったり、窮屈な運営になったりと、難しい局面になる事も多く、悩ましい日々が続く。今週も大分にいながら様々な仕事をこなす1週間だった。悩みながらもなんとか終えることができてホッと一息の週末だ。今週のブログは「テクノロジーとグローバル」というタイトルにした。日本でもグローバル教育やグローバル人材の育成、などと教育の中でも「グローバル」という言葉がずいぶん前からいわれている。実際、テクノロジーの力によって世界はグッと身近になっているし、私自身もそれを感じることが多い。しかし今は、国外への行き来をかなり制限され、時間やお金があっても海外に行くことは難しくなっている。”グローバル”という言葉から私たちは「英語教育」をすぐに連想する。確かにいろんな統計資料を見ても英語は世界の言語として使われる割合も多い。だが、少し古い資料にはなるが、文部科学省の「グローバル人材の育成について」によれば、日本の英語力はTOEFLの結果を指標とした場合に、163カ国中135位、アジア諸国のなかでも30カ国中27位と低位置にあるとしている。私は英語教育の専門家ではないけど、テクノロジーという文脈でいくと、いずれ英語力を補うテクノロジーは生まれるだろう、とも思っている。英語だけではなく、ストレスなく他言語に対応できるテクノロジーも、遠くない未来に出てくると思う。一方で、プレゼンを指導したり、研修したりする時によく話すのは「伝えたい気持ち、想いの大切さ」だ。誰かとコミュニケーションを取る時に必要な1番の要素は、その想いの強さだ、と話している。同じ言語で会話できるに越したことはないけど、それよりも今の私たちに足りていないのは、他言語や多文化に対する理解や、世界に目を向けるきっかけ、自国の文化や伝統に関する理解ではないだろうか。自分が住む日本に対する思いや理解、それを伝えたいという気持ち。同じように他の国に対する興味関心、知りたいという思い、そこが足りていないように感じる。単純に英語力をつけ、単語を覚え、文法を理解しても、それは「グローバル」なものの見方にはならない。私自身の英語力は中学生レベルだけど、臆せずコミュニケーションを取ろうとすると、あまり困ったことは起きたことがない。ジェスチャーや簡単な英語でも、十分にコミュニケーションは取れた。それよりも関係性を縮め、もっと話したい、伝えたい、と思う気持ちや、そんな場の創出、交流の経験を積むことの方が大切なのではないだろうか。そのモチベーションが結果的に英語力の向上に寄与するのかもしれない。そのためにはテクノロジーの力を存分に借りて、いろんな国の人たちに子どもたちを出会わせたり、コミュニケーションを取りたい、と思わせるような仕掛け、授業デザインができることの方が大切だ。世界的にテクノロジーを使った遠隔のツールが一般化し、大人の世界でも当たり前に使うようになった今、これを活用して子どもたちのグローバルなものの見方を育て、世界に目を向けるチャンスだ。今目の前にあるリソースを組み合わせて、どんどんそんなチャレンジングな授業を創出し、子どもたちの未来をサポートをしていきたい。
今週も毎日暑い日が続いた。オリンピックを毎日ぼんやり見ていると、いろいろと思う事もある。レジェンドと言われ、期待されていた人は予選で敗れ、10代の若者がのびのびと活躍し、メダルを取っていく。いわゆる子どもの世代がメダルを取って、笑顔で世界に羽ばたく様子は、単純にうれしくて、なんだかワクワクする。今大会の新しい競技も、どれも面白い。感染拡大は止まらず、いろいろと制限の多い毎日だ。予定していた研修や仕事も、オンラインになったり、窮屈な運営になったりと、難しい局面になる事も多く、悩ましい日々が続く。今週も大分にいながら様々な仕事をこなす1週間だった。悩みながらもなんとか終えることができてホッと一息の週末だ。今週のブログは「テクノロジーとグローバル」というタイトルにした。日本でもグローバル教育やグローバル人材の育成、などと教育の中でも「グローバル」という言葉がずいぶん前からいわれている。実際、テクノロジーの力によって世界はグッと身近になっているし、私自身もそれを感じることが多い。しかし今は、国外への行き来をかなり制限され、時間やお金があっても海外に行くことは難しくなっている。”グローバル”という言葉から私たちは「英語教育」をすぐに連想する。確かにいろんな統計資料を見ても英語は世界の言語として使われる割合も多い。だが、少し古い資料にはなるが、文部科学省の「グローバル人材の育成について」によれば、日本の英語力はTOEFLの結果を指標とした場合に、163カ国中135位、アジア諸国のなかでも30カ国中27位と低位置にあるとしている。私は英語教育の専門家ではないけど、テクノロジーという文脈でいくと、いずれ英語力を補うテクノロジーは生まれるだろう、とも思っている。英語だけではなく、ストレスなく他言語に対応できるテクノロジーも、遠くない未来に出てくると思う。一方で、プレゼンを指導したり、研修したりする時によく話すのは「伝えたい気持ち、想いの大切さ」だ。誰かとコミュニケーションを取る時に必要な1番の要素は、その想いの強さだ、と話している。同じ言語で会話できるに越したことはないけど、それよりも今の私たちに足りていないのは、他言語や多文化に対する理解や、世界に目を向けるきっかけ、自国の文化や伝統に関する理解ではないだろうか。自分が住む日本に対する思いや理解、それを伝えたいという気持ち。同じように他の国に対する興味関心、知りたいという思い、そこが足りていないように感じる。単純に英語力をつけ、単語を覚え、文法を理解しても、それは「グローバル」なものの見方にはならない。私自身の英語力は中学生レベルだけど、臆せずコミュニケーションを取ろうとすると、あまり困ったことは起きたことがない。ジェスチャーや簡単な英語でも、十分にコミュニケーションは取れた。それよりも関係性を縮め、もっと話したい、伝えたい、と思う気持ちや、そんな場の創出、交流の経験を積むことの方が大切なのではないだろうか。そのモチベーションが結果的に英語力の向上に寄与するのかもしれない。そのためにはテクノロジーの力を存分に借りて、いろんな国の人たちに子どもたちを出会わせたり、コミュニケーションを取りたい、と思わせるような仕掛け、授業デザインができることの方が大切だ。世界的にテクノロジーを使った遠隔のツールが一般化し、大人の世界でも当たり前に使うようになった今、これを活用して子どもたちのグローバルなものの見方を育て、世界に目を向けるチャンスだ。今目の前にあるリソースを組み合わせて、どんどんそんなチャレンジングな授業を創出し、子どもたちの未来をサポートをしていきたい。
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