Toshihiro Doi2022年2月12日読了時間: 3分プロの人たちとの仕事今日は薄曇りで少し寒い、東京は大雪で大変だったみたいで、今年の冬は例年よりもずっと寒い気がする。庭のクリスマスローズがようやく蕾をつけていて、そろそろ可愛い花が咲きそうだ。早く春になって欲しい。今週も東京でお仕事だった。大分からの朝イチ便の飛行機がまた欠航になったので、午前中からの仕事は前泊するしかない。しばらく欠航でようやく1月から運行になっていたのだが、再び飛ばなくなった。いつになったら収まるのやら、年度末にかけての色々な行事や、卒業、入学シーズン、また難しい判断を迫られることが増えてくる。今年度、一年かけてiPadの動画を撮影してきた。GIGA導入の頃からコツコツと撮ってきたものは56本にもなった。東京のスタジオで毎月のように撮影をしたのだ。撮り終わるとすぐに、次の動画の骨子を固める作業が始まり、シナリオを書き、みんなで何度も推敲し、チェックし、必要な素材を作ったり集めたり。オンラインで何度も会議を開いてファイルを共有しながら仕上げていく。スタジオで撮影し、撮り終わったら編集をお任せし、出来上がったものを再びチェック、何度かのやり取りの後に、リリース。この作業をずっと裏で続けてきた1年間だった。そしてようやく、今年度の最後の撮影が終わった。この1年間の撮影の期間、動画のクリエイターの人たちとたくさんの時間を過ごさせてもらった。教員時代にはなかなかできない体験だ。そこにある機器や、多くのガジェット、設備まで全てが本物でプロの現場だ。そしてそこにいる人たちも、それぞれが自分の役割があり、適材適所に動いていく。シナリオの言葉の一つひとつや、見る人たちに与える印象、イントネーションまでこだわる。映り込む影や、アプリの配置などの細かい点、どこも最後まで妥協しないのだ。作りながら、合成する画面のイメージや、テロップの内容までを想像しながら撮影を進めていく。ついつい「もういいかな」と思いがちなところも徹底して作り込む。当たり前だけどその姿はすごくかっこよく見えた。何度も会って一緒に仕事をしていくと、それぞれの性格やこだわるポイントがわかってきて、どんどん仕事はしやすくなる。自分の慣れもあるけど、間合いが詰まってくると楽しくなる。そうやって一つの作品をチームみんなで作り上げる楽しさはなんとも変え難い。変わりつつある教育現場の話をする時間も楽しかった。学校の先生は子どもたちを育てるプロだ。しかし子どもたちの育っていく世界はとても広く、先生になる子どもたちはごく少数で、それ以外の仕事がほとんどだ。だからこそ学校という場で、いろんなプロの人たちと出会わせる必要があるのではないだろうか。私がずっと思っていることは「教育と社会の壁を壊したい」ということだ。長い期間学校で学んできたのに、社会に出るとまた1から、社会人としての教育を受けなくてはいけない。この分断をなくしたいのだ。「学校」という中で学んできたことが役に立たないことが当たり前の状態を正したい。社会に開かれた学校、とよくいうが本当の意味でそうなってないと思う。学校の中で、もっとたくさんプロの仕事に触れ、働くことの楽しさや、厳しさ、憧れを持てる瞬間を生み出したい。そういう場を作り、子どもたちにたくさんの本物と出会わせることが、プロである先生としての大きな役割なのではないだろうか。当たり前にいろんな大人たちが子どもたちに関わり、そのコミュニティの中心に学校や先生がいる、こんな姿も未来の学校かもしれない。
今日は薄曇りで少し寒い、東京は大雪で大変だったみたいで、今年の冬は例年よりもずっと寒い気がする。庭のクリスマスローズがようやく蕾をつけていて、そろそろ可愛い花が咲きそうだ。早く春になって欲しい。今週も東京でお仕事だった。大分からの朝イチ便の飛行機がまた欠航になったので、午前中からの仕事は前泊するしかない。しばらく欠航でようやく1月から運行になっていたのだが、再び飛ばなくなった。いつになったら収まるのやら、年度末にかけての色々な行事や、卒業、入学シーズン、また難しい判断を迫られることが増えてくる。今年度、一年かけてiPadの動画を撮影してきた。GIGA導入の頃からコツコツと撮ってきたものは56本にもなった。東京のスタジオで毎月のように撮影をしたのだ。撮り終わるとすぐに、次の動画の骨子を固める作業が始まり、シナリオを書き、みんなで何度も推敲し、チェックし、必要な素材を作ったり集めたり。オンラインで何度も会議を開いてファイルを共有しながら仕上げていく。スタジオで撮影し、撮り終わったら編集をお任せし、出来上がったものを再びチェック、何度かのやり取りの後に、リリース。この作業をずっと裏で続けてきた1年間だった。そしてようやく、今年度の最後の撮影が終わった。この1年間の撮影の期間、動画のクリエイターの人たちとたくさんの時間を過ごさせてもらった。教員時代にはなかなかできない体験だ。そこにある機器や、多くのガジェット、設備まで全てが本物でプロの現場だ。そしてそこにいる人たちも、それぞれが自分の役割があり、適材適所に動いていく。シナリオの言葉の一つひとつや、見る人たちに与える印象、イントネーションまでこだわる。映り込む影や、アプリの配置などの細かい点、どこも最後まで妥協しないのだ。作りながら、合成する画面のイメージや、テロップの内容までを想像しながら撮影を進めていく。ついつい「もういいかな」と思いがちなところも徹底して作り込む。当たり前だけどその姿はすごくかっこよく見えた。何度も会って一緒に仕事をしていくと、それぞれの性格やこだわるポイントがわかってきて、どんどん仕事はしやすくなる。自分の慣れもあるけど、間合いが詰まってくると楽しくなる。そうやって一つの作品をチームみんなで作り上げる楽しさはなんとも変え難い。変わりつつある教育現場の話をする時間も楽しかった。学校の先生は子どもたちを育てるプロだ。しかし子どもたちの育っていく世界はとても広く、先生になる子どもたちはごく少数で、それ以外の仕事がほとんどだ。だからこそ学校という場で、いろんなプロの人たちと出会わせる必要があるのではないだろうか。私がずっと思っていることは「教育と社会の壁を壊したい」ということだ。長い期間学校で学んできたのに、社会に出るとまた1から、社会人としての教育を受けなくてはいけない。この分断をなくしたいのだ。「学校」という中で学んできたことが役に立たないことが当たり前の状態を正したい。社会に開かれた学校、とよくいうが本当の意味でそうなってないと思う。学校の中で、もっとたくさんプロの仕事に触れ、働くことの楽しさや、厳しさ、憧れを持てる瞬間を生み出したい。そういう場を作り、子どもたちにたくさんの本物と出会わせることが、プロである先生としての大きな役割なのではないだろうか。当たり前にいろんな大人たちが子どもたちに関わり、そのコミュニティの中心に学校や先生がいる、こんな姿も未来の学校かもしれない。
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