稲刈りも無事に終わり、秋の公開授業真っ只中で、研修も相変わらず忙しい。寒さも徐々に強まり、朝晩はストーブに火を入れることも増えてきた。例年よりも暑い日は多いけど、ちゃんと冬は近づいている。
今日までの1ヶ月、我が家は初のホストファミリーの経験をした。そのきっかけでもあるけど、うちの一番下のN高校2年生は、夏から10ヶ月フィンランドに留学をしている。自分で探した留学プログラムで、自ら応募し、奨学金ももらうことができ、すでに3ヶ月以上が経つ。向こうの生活にも順調に適応し、ここにいては感じられないことを感じ、体験し、学びを得ているようだ。うちの子が見つけてきた留学プログラムは「AFS」というものだった。そこにはこんなことが書かれている。
グローバル市民の育成
若者から大人まで、あらゆる年代の人々が地球市民になるために、留学、ボランティア、ホストファミリーなどを通じた異文化体験の機会を提供します。
プログラムの参加者は、日々の「普通の生活の中で」異文化に触れることで、違いを尊重し、その違いを楽しむことを経験します。そして、その体験を通して、視野を広げ、固定観念にとらわれない柔軟な考え方を養い、自信をつけ、異なる文化の人々と協働できる力を磨きます。
そして我が家にはラトビアからの18歳の女の子がやってきた。長女の同級生になる。「ラトビア」と聞いてもピンとこない人も多いと思う。実際私もそうだった。以下引用
ラトビアは、エストニア・リトアニアを含めたバルト三国の真ん中に位置する国。 近くにはフィンランドやポーランドがあります。 国土の約半分は森林で、約500km続くビーチもあるなど自然を肌で感じ体験できる美しい国です。 ラトビアは1991年にロシアから独立し、その後はロシアと西ヨーロッパをつなぐ防衛拠点として発展しました。
そんな日本からはるか遠い国から、こんな大分の田舎町にやってきてくれたのだ。普通に暮らしていてもきっと出会うことのない国の人だ。我が家は張り切って1ヶ月を楽しんだ。食べさせたいもの、会わせたい人、体験させたいこと、見せてあげたいもの、いろいろ考えて、本人とたくさん話して決めていった。ビーチクリーンにも毎週連れていった。でもついた翌日が稲刈りで、やむを得ず手伝わせてしまったけど・・・
短期間の旅とは違い、一緒に暮らすことで感じることはたくさんあった。ある夜、ネットで買った花火をした。その時になんとなく戦争の話になった。「怖い」というのが初めに出た言葉だった。地理的にも近く避難して来ている人も多い。テレビでは、もし戦争が拡大したときは、こんなものを持って避難したらいい、ということを繰り返し説明しているらしい。私たちはその距離感では感じることができない。食文化の違いや習慣の違いも、一緒に住むことで感じられるし、互いに伝えようとするからよくわかる。
何よりいつも元気で、なんでもよく食べ、勉強も熱心にするとってもいい子だった。英語も日本語も得意で意思疎通も問題なかったこともあって、日本で出会った多くの人たちに可愛がられ、好かれていた。初心者ホストファミリーにとっては一番ありがたい子だったと思う。不安だった1ヶ月も、終わってしまえばあっという間の楽しい経験となった。
同じものを見て、同じ体験をしても感じ方はそれぞれ違う。それを言語化して共有し、互いに理解することは、とても大きな意味を持つし、自分自身の価値観に影響する。だからこそコミュニケーションは大切で、英語力や拙い言語力を補うテクノロジーも大切だ。
地球市民になれたかどうかはわからないけど、日々の「普通の生活の中で」異文化に触れることで、違いを尊重し、その違いを楽しむことを経験します。そして、その体験を通して、視野を広げ、固定観念にとらわれない柔軟な考え方を養い、自信をつけ、異なる文化の人々と協働できる力を磨きます。という目的は達成できたように思う。もう一人の娘がいなくなって、ぽっかり穴が空いたような気持ちだけど、じんわり心が温まるような素敵な1ヶ月だった。
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