Toshihiro Doi2021年6月5日読了時間: 4分ルールはどういうプロセスで?今週の大分は、ずっと大雨の日が多く、いかにも梅雨らしい毎日だった。うちのワンコも散歩に行けないストレスが溜まっていて、雨が止んだ隙間に散歩に行く日々だった。今週は大分にはいたが、全国の多くの人たちと毎日ミーティングし、いろんなことを決めたり、研修をしたりの日々だった。紫陽花が色とりどりの花を咲かせ、通りに咲き誇っている。この時期しか咲かないけど印象に残る綺麗な色で、可愛らしい花だ。バッサリ剪定すると翌年一回り大きくなる紫陽花は、生命力が強い、と感じる。今週は「ルールはどういうプロセスで?」というタイトルにした。端末が整備され、いよいよ本格的な運用が少しずつスタートしている。それぞれの教育委員会にはグランドデザインがあり、それに合わせる形で、推進計画や推進プランが作成されつつある。そして同時に、学校や家庭での運用ルールや決まり、というものも作られ始めている。そもそも、GIGAスクール構想がスタートしたのは2019年の12月、コロナウイルスが世に出てくるよりも前の話だ。新学習指導要領の施行に合わせて、これからの時代のあるべき姿、新しい学びを創出するための基本的な環境としての整備が目的だった。これまでずっと大きな課題となっていた学校のICT環境の整備に、国として本気で取り組み始めたのがこの頃になる。当初は4年の整備計画としてのスタートだった。そして、ご存知のように2020年の1月にコロナウイルスの発生、その後3月には一斉休校になり、4月には整備の前倒しの方針に切り替わった。2020年は色々な意味で大きな変革を起こすトリガーとなった1年だった。DX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉のように、教育だけではない大きなうねりとなっているのは間違いない。学校だけではなく社会全体がテクノロジーを活用することで変革を求められているのだ。そして子どもたちの手にタブレットが手渡され、学校の大きな転換期を迎えたのが今なのだ。これまで日本の教育の中では、テクノロジーの活用はかなり消極的に進められてきた。利活用の効果を上回るほど、危険性やデメリットの周知や教育が多くあり、一般的なイメージとして学校でのテクノロジーの活用は、その他の社会よりもすごく慎重で、反対する人たりの割合も高い。1人1台の環境が整った今、私たちはどこを目指して指針を打ち出していけばよいのだろうか?これまでのPC教室では、安全なネットワークで、先生の監視下で、決められたことにしか使うことはできず、移動もできず、時間や使用に関しての制限も多くあった。そしてそれと同じ考え方で1人1台のタブレットをガッチリ監視し、管理しなければ、と躍起になっているように感じる。「何かあると困るから」という大人の事情によって、子どもたちの活動は制限され、セキュリティのレベルは引き上げられ、本来できるはずのことができなくなっている現実もある。校内の運用ルールも同じで、雨の日の休み時間の使用も禁止する。いいことと悪いことを何をもって見極め、制限をかけるのかは、どこにも明文化されてなく、個々の担任や学校の判断に委ねられている。明確な基準がないことで、使いづらさやつ使わない理由は増え、結局子どもたちの学びの意欲を削いでしまう。当事者である子どもたちの意見はどこまで反映されるのだろうか?学校の中、教育の場でこそ失敗は許され、リカバリできることも多くある。失敗をしながらリテラシーを身につけ大人になるべきなのに、失敗したくない大人の事情で、そのチャンスすら奪われている。児童会や生徒会が運用ルールを作ってもいい、先生たちの思いと合わせてルールを決めてもいいと思う。そのプロセスを大切にし、子どもたちの学びの意欲を守って欲しいと思う。そして先生自身のスタンスを変えるきっかけにもなる。禁止することは簡単だが、それを緩めていくことは難しい。子どもたちも、保護者も、先生たちも納得するためのルールづくりを、このタイミングで慎重に進めていきたい。
今週の大分は、ずっと大雨の日が多く、いかにも梅雨らしい毎日だった。うちのワンコも散歩に行けないストレスが溜まっていて、雨が止んだ隙間に散歩に行く日々だった。今週は大分にはいたが、全国の多くの人たちと毎日ミーティングし、いろんなことを決めたり、研修をしたりの日々だった。紫陽花が色とりどりの花を咲かせ、通りに咲き誇っている。この時期しか咲かないけど印象に残る綺麗な色で、可愛らしい花だ。バッサリ剪定すると翌年一回り大きくなる紫陽花は、生命力が強い、と感じる。今週は「ルールはどういうプロセスで?」というタイトルにした。端末が整備され、いよいよ本格的な運用が少しずつスタートしている。それぞれの教育委員会にはグランドデザインがあり、それに合わせる形で、推進計画や推進プランが作成されつつある。そして同時に、学校や家庭での運用ルールや決まり、というものも作られ始めている。そもそも、GIGAスクール構想がスタートしたのは2019年の12月、コロナウイルスが世に出てくるよりも前の話だ。新学習指導要領の施行に合わせて、これからの時代のあるべき姿、新しい学びを創出するための基本的な環境としての整備が目的だった。これまでずっと大きな課題となっていた学校のICT環境の整備に、国として本気で取り組み始めたのがこの頃になる。当初は4年の整備計画としてのスタートだった。そして、ご存知のように2020年の1月にコロナウイルスの発生、その後3月には一斉休校になり、4月には整備の前倒しの方針に切り替わった。2020年は色々な意味で大きな変革を起こすトリガーとなった1年だった。DX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉のように、教育だけではない大きなうねりとなっているのは間違いない。学校だけではなく社会全体がテクノロジーを活用することで変革を求められているのだ。そして子どもたちの手にタブレットが手渡され、学校の大きな転換期を迎えたのが今なのだ。これまで日本の教育の中では、テクノロジーの活用はかなり消極的に進められてきた。利活用の効果を上回るほど、危険性やデメリットの周知や教育が多くあり、一般的なイメージとして学校でのテクノロジーの活用は、その他の社会よりもすごく慎重で、反対する人たりの割合も高い。1人1台の環境が整った今、私たちはどこを目指して指針を打ち出していけばよいのだろうか?これまでのPC教室では、安全なネットワークで、先生の監視下で、決められたことにしか使うことはできず、移動もできず、時間や使用に関しての制限も多くあった。そしてそれと同じ考え方で1人1台のタブレットをガッチリ監視し、管理しなければ、と躍起になっているように感じる。「何かあると困るから」という大人の事情によって、子どもたちの活動は制限され、セキュリティのレベルは引き上げられ、本来できるはずのことができなくなっている現実もある。校内の運用ルールも同じで、雨の日の休み時間の使用も禁止する。いいことと悪いことを何をもって見極め、制限をかけるのかは、どこにも明文化されてなく、個々の担任や学校の判断に委ねられている。明確な基準がないことで、使いづらさやつ使わない理由は増え、結局子どもたちの学びの意欲を削いでしまう。当事者である子どもたちの意見はどこまで反映されるのだろうか?学校の中、教育の場でこそ失敗は許され、リカバリできることも多くある。失敗をしながらリテラシーを身につけ大人になるべきなのに、失敗したくない大人の事情で、そのチャンスすら奪われている。児童会や生徒会が運用ルールを作ってもいい、先生たちの思いと合わせてルールを決めてもいいと思う。そのプロセスを大切にし、子どもたちの学びの意欲を守って欲しいと思う。そして先生自身のスタンスを変えるきっかけにもなる。禁止することは簡単だが、それを緩めていくことは難しい。子どもたちも、保護者も、先生たちも納得するためのルールづくりを、このタイミングで慎重に進めていきたい。
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