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執筆者の写真Toshihiro Doi

何をイメージし、どこをめざすか

今週は雨の日が多かった。降ってない時間も湿度が高く、ムシムシじめじめ、梅雨特有の不快指数の高さを感じる一週間だった。またしても大きな災害が起き、去年大分でも起きたようなことが起きてしまった。本当に胸が痛く、苦しい。


梅雨という季節は、農業をしている私からすると、ありがたく、無いと困るものなのだが、いわゆる「恵みの雨」ではなく色々と恐れを抱くものになりつつある。台風のような一過性のものではなく、だらだら、じわじわ降り続き、結果として大きな災害につながるこの時期の雨の降り方は、台風に慣れている九州の人間にとっても厄介な感じがする。





今週も相変わらずとっても忙しかった。南は沖縄から、関東、東海地方などさまざまな人たちとミーティングや対話を繰り返し、京都では現地に行き、授業を見たり、リアルに対面で研修したりと充実、過密の1週間だった。


基本的に遠隔で仕事をする毎日だが、その最中にあってリアルでの訪問や対話は変え難いものがある。面と向かって話すことの方が、まだまだ圧倒的に得意だな、と感じることもあった。早く色々と戻って欲しいと、切に願う。


今週のブログは「何をイメージし、どこをめざすか」というタイトルにした。この変革、改革の真っ只中にある今、大なり小なり「変わらなきゃ」と思っている先生、教育委員会がほとんどだ。関連する教育系企業の人たちでも、変革を促すことも多いし、変わろうとしている。


その時に描くビジョンの大切さについても、何度も述べてきた。教育委員会や管理職など、いわゆる組織の中で上位層の人たちが何をめざし、どんなビジョンを描くのか。そしてその組織に所属し、働く以上そのビジョンに沿って創造していくことはとても大切だ。





勝手に自分の方針に基づいてしたいことをするのであれば、個人塾なり、自分で学校を創るしかない。教職員として所属し、組織の一員として働く以上ある程度ビジョンを意識し、それを実現するために働くことは、一社会人として当たり前のことだと思う。だからこそビジョンを描くべき立場の人たちの責任は重い。


その大きな指針の一つとして、国から提言されるものにも目を通し、方向性を見出すことも必要だ。 第2回「令和の日本型学校教育」を担う教師の在り方特別部会の資料の中にも参考になる文言がたくさんある。


その中の一文に「学びの伴走者として、子供一人一人の学びを最大限に引き出し、子供同士の考えをつなぎ、主体的な学びを支援しながら、学習者中心の授業を子供とともに創造することができること」という言葉がある。ICTを活用し、わかる授業を展開する、といった教師主導の授業の在り方などは、どこにも記載がない。


ある自治体の研修の中でめざしたい授業として「自由な創造性が解き放たれ 大人の想像を軽く超える瞬間」という定義をした。子どもたちが教師の想像の枠を飛び越え、自立的に学びを求めていく授業をどう作り出すか。そんなことを先生たちと継続的に探究している。





現在地からどこをめざしていくのか、それはそれぞれの経験値や価値観で違うかもしれない。それも一つの多様性、ダイバシティとして受け入れていくものだとも思う。教師も自分らしく、自分の内面をさらし、らしさを発揮した生き生きとした姿を見せていくことが求められているのかもしれない。


そんな教師の姿を見て、子どもたちなりの自己解放が起きるのかもしれない。子どもたちが自分らしさをメタ認知し、その良さを存分に発揮し、それが集団として、組織として機能できるような授業が、いい授業なのではないか。


そんな学びを産むための伴走者のあり方、主体的な学びを支援する、とはどういうことか。学習者中心の授業とは何か。時代に求められているスキルにアップデートしていくにはどうすればいいか、子どもたちの幸せのために、私自身もアップデートしたいし、私の関わるたくさんの先生たちとその悩みを共有し、協働しながら答えを求めていきたいと思う。


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