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執筆者の写真Toshihiro Doi

公立と私立

先週1週間の間に3校の私立中学・高校を訪問した。公立の小・中・高校を卒業し、その後も公立の学校に勤務していた私が、最近は私立の学校とお仕事することがあり、その中で気づくことも多い。

そもそも公立の学校は単独で存在するわけではなく、市町村の教育委員会があり、その上に県の教育委員会、文部科学省、となっている。

私立は1企業として文部科学省の方向性で進むものの、カリキュラムや指導内容の多くは学校独自で決めて運用することができる。公立の側面から見てみると、教育委員会はないし、予算の決定は早そうだし、異動もあまりないし、なんだか羨ましいな、などと考えていた。

しかし実際、私立の学校でたくさんの先生や管理職の方と話していると、そんなに話は単純ではない、ということがわかる。

異動がない、ということは一人の先生が一生その学校に勤務することもある。なんなら母校でした、という先生などはほぼその学校の敷地内で一生に近い時間を過ごす先生もいる。それは良くも悪くも・・といったことにもつながる。



教育委員会がない、というのはどういうことかというと、いろんな提出物に追われたり、アンケートに答えたりすることもない、という部分もあるが、一方では授業について指導を受ける場面や、国の方針などを伝えてもらえる場も少ない、ということだ。つまり教員になってもずっと指導や研修を受けないまま年数が経過していくこともあるのだ。私立の先生は自分の時間やお金を使わないと、学ぶことは難しい。

予算についても、公立の学校は、市や県から配分されてきたものを使うのだが、私立は学校が使える予算の範囲内で、ということになる。バックに大きな企業や組織を持っているところは別だが、そのほとんどは生徒から徴収した授業料などでまかなう、定員に満たなければ、即座に学校運営が危ぶまれるのだ。



教育ICTの世界を見ていると、圧倒的に私立の学校の方が進んでいるのが現状だ。これからの教育のあり方を見据え、即座に舵を切って進み始めた学校がたくさんある。もちろんそれは悪いことではなく、当たり前の傾向だ。先行していく学校があるからこそ、公立は安心して県民や市民のお金を投じることができる。全体のバランスを見てもその方が自然だ。 公立は私立、私立は公立に対してそれぞれいろんな感情を持っている。でも大切なことは、今の自分の立ち位置で、目の前の子どもたちの未来のために何ができるか、ということだ。これから学校のあり方は、おそらくもっと多様化してくる。現にインターネットを介した学校も次々生まれている。フリースクールや、自宅学習もTechnologyによって形を変え、それぞれにあった学び方が展開されていくことは明らかだ。


子どもたちが画一的に同じ方向に机を並べ、先生の話を聞きながら、というこれまでの学びのスタイルは確実に変わる。その時に、自分たち大人はどんな風に関わり、子どもたちの育ちをサポートするのか?先生だけでなく、教育に関わる全ての大人が真剣に変わる時期が来ている。みなさんは子どもたちの未来のために、何をしますか?

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