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  • 執筆者の写真Toshihiro Doi

学びと生活をつなぐ

寒さは少し和らいだけど、日が沈むのがとっても早い、場所や天気によっては17時くらいにはもう真っ暗になって夜みたいだ。12月も一週目が終わり、なんとなく年末の空気が漂ってきている。


今週は月曜日から金曜日までずっと出張、そして今日から再び出張だ。京都、綾部、舞鶴、吹田と関西方面を転々とした。いろんな研修や授業との出会いがあり、充実した週にはなったけど、ホテルでぐっすり眠れない私は結構辛い。あと少し、ひと段落するまで頑張ろう。





現行の新学習指導要領の中では「社会に開かれた教育課程」ということが重要なキーワードとして出てくる。


「社会に開かれた教育課程」

学校の教育課程を通じて、子どもたちが社会や世界とつながり、よりよい社会と幸福な人生を自ら創り出していける力を積極的に育もうとする考え方


と言われていて、そのためのカリキュラムマネジメントを、積極的に行うことが明記されているのだ。しかし実際はどうだろうか。スキル的な部分を含めても学校教育で目指している姿、高校入試や大学入試を突破するための学力や、その対策は社会に開かれたものになっているだろうか。


端的な例を挙げると、学校を卒業し社会人になった時に、社会のことにどれだけ関心を持ち、課題を見出し、解決していける力を身につけているだろうか。多くの職種では新人教育が行われ、その仕事に必要なスキルを含めて、教育される。その時にそれまでのずっと継続してきた学校での学びは、どれだけ活きているだろうか。





今週見た授業で、理科の実験結果を予想する授業があった。小学生たちは、自分の生活で起きた事象や、生活体験を根拠にして、自分の考えを話していた。この根拠にこだわりを持ち、違う意見の友だちになんとかわかってもらおうと説明していた。


子どもたちなりの理解で、目の前にある事象の意味を、自分の知識を元に読み解こうとしていたのだ。じっくり時間をかけ、安心できる環境で、全員が学びに向かう姿はとっても素敵だった。先生がしっかりと、そんな姿を出すための仕掛けや布石をおきながら授業は展開されていた。


最近多くの授業を一緒に作ったり、参観したり、授業後の研究会を行ったりしていると、結局のところ、ICTがどうだったか?という議論ではなく、もっと本質的な議論になってきている。


よくある「効果的だったか」という視点は、あくまで大人の理論で、子どもたちにとってはICTが自然にそこにあり、自由に使える環境や、学びのパートナーのように自由に使える状態にあることが大切なんだと思う。このタイミングで、効果的じゃなかったからもう必要ない。というような次元ではなくなってきている。





どんどん進んでいるGIGAスクールのフェーズは、いい方向に向かおうとしているし、少しずつそんな自治体が出てきている。すべての教科・領域でジブンゴトにして考えるような仕組みが必要で、学校での学びと、子どもたちが生きていく、社会や家庭を分断せずにつないでいけるか。そこがこれからの大事なポイントになってくるだろう。


その時に、子どもたちの裁量で自由に使うことができ、多様なアウトプットの手段として、そこに当たり前のようにきちんと動くICT環境があることが大切だ。大人の都合で使ったり使わせなかったりするようなものではない。あくまでこれは子どもたちの端末だ、というスタンスでその最適で安全な環境を作っていくのが大人の役割だ。そして、その良さがしっかり活かせるような授業デザインを、先生たちと多く生み出していきたい。



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