Toshihiro Doi2020年4月18日読了時間: 3分学ぶ楽しさ春の嵐が来て、黄砂が飛んで、日に日にあったかくなってきた。夏野菜に向けて土を作り、マルチを貼って、苗を植えた。花壇も整備して花を植え、近所の人たちの目を楽しませたいと思う。遠くまで出かけられなくて、近所で散歩したり、井戸端会議のようにおじいちゃんやおばあちゃんとのんびりお話ししたり、地域の中でのコミュニティも大切になっている。家の中を快適にしたり、暮らしやすくしたりすることも楽しみになってきている。心なしか家も綺麗だ。こうやって生活に制限がかけられると、違う視点でものを見ることができ、動き方や価値観に変化が生まれてくることがわかった。今はこの生活に慣れ、楽しむしかない。悲観しても仕方ないし、何も変わらない。楽しむしかないのだと思う。いよいよ全国に緊急事態宣言が拡大され、大分でも感染者がポツポツ増えてきている。ゴールデンウィークまで再度の休校措置。子どもたちも少し諦めモードになっている。学校の対応の限界もわかり、地方の公立学校の現状を理解してきている。「これはしばらく続く」と口には出さないが、思っている人は多いと思う。長期戦になることがうっすら見えてきた。修学旅行や、体育大会、中体連や文化祭、学校行事もできないかもしれない、と思っているようだ。この期間の格差は、後々大きなものとなって子どもたちに響いてくるような気がしている。地域や学校の努力で、学び続けるための知恵と工夫を出し、環境を整え、進めている学校と、プリントの印刷を延々続け、それをこなして提出するだけの学校。学ぶ意欲や気持ちには大きな差が生まれる。もちろん命に代えられるものはないが、同じように学ぶ意欲も、生きていく上ではとても大切なものだ。学びは学校社会で完結するものではなく、社会人になってもずっと変わらず学びのチャンスはやってくる。その時に、自分で学び続けられる素地は、きっと学校での学び方で育成される。社会人教育やOJTという言葉もあるが、本来学校での学びは、社会で働くための学びと続いていくべきだし、役に立つ学びをするべきだと思う。受験をうまく乗り切って、いい高校、いい大学に入ることは、手段であって目的ではない。その先にある仕事や、大きな夢を叶えるためのプロセスであるべきだし、学校教育の中で、学び方や学ぶことの楽しさを体得していくべきではないだろうか。それは個で学ぶことだけではなく、難しい課題を前にして、仲間と一緒に知恵を絞って解決し、そのことによって誰かに感謝されたり、喜ばれたりすること、これが学ぶ楽しさ、意欲になる。そんな経験を重ねていくことが、社会に出て、誰かのために働く原動力になる。だからこそ学校は子どもたちにとって必要な場なのだ。誰かと協働して学ぶことはオンラインではなかなか難しい。コロナが収束し、学校に子どもたちが戻ってきた時に、そんな学びを提供していける学校に、今、変わる時だと思う。学ぶ楽しさを知っている子どもは、きっとこの期間も自分なりに新しい知識を得て、オンラインでも学び続けているだろう。ワクワクしながら学校へ来た子どもたちに、より魅力的なコンテンツを提供できる、新しい学校であって欲しい。そしてそこには、テクノロジーがいつでも利用できる環境があって、当たり前に使えるような学校になって欲しい。
春の嵐が来て、黄砂が飛んで、日に日にあったかくなってきた。夏野菜に向けて土を作り、マルチを貼って、苗を植えた。花壇も整備して花を植え、近所の人たちの目を楽しませたいと思う。遠くまで出かけられなくて、近所で散歩したり、井戸端会議のようにおじいちゃんやおばあちゃんとのんびりお話ししたり、地域の中でのコミュニティも大切になっている。家の中を快適にしたり、暮らしやすくしたりすることも楽しみになってきている。心なしか家も綺麗だ。こうやって生活に制限がかけられると、違う視点でものを見ることができ、動き方や価値観に変化が生まれてくることがわかった。今はこの生活に慣れ、楽しむしかない。悲観しても仕方ないし、何も変わらない。楽しむしかないのだと思う。いよいよ全国に緊急事態宣言が拡大され、大分でも感染者がポツポツ増えてきている。ゴールデンウィークまで再度の休校措置。子どもたちも少し諦めモードになっている。学校の対応の限界もわかり、地方の公立学校の現状を理解してきている。「これはしばらく続く」と口には出さないが、思っている人は多いと思う。長期戦になることがうっすら見えてきた。修学旅行や、体育大会、中体連や文化祭、学校行事もできないかもしれない、と思っているようだ。この期間の格差は、後々大きなものとなって子どもたちに響いてくるような気がしている。地域や学校の努力で、学び続けるための知恵と工夫を出し、環境を整え、進めている学校と、プリントの印刷を延々続け、それをこなして提出するだけの学校。学ぶ意欲や気持ちには大きな差が生まれる。もちろん命に代えられるものはないが、同じように学ぶ意欲も、生きていく上ではとても大切なものだ。学びは学校社会で完結するものではなく、社会人になってもずっと変わらず学びのチャンスはやってくる。その時に、自分で学び続けられる素地は、きっと学校での学び方で育成される。社会人教育やOJTという言葉もあるが、本来学校での学びは、社会で働くための学びと続いていくべきだし、役に立つ学びをするべきだと思う。受験をうまく乗り切って、いい高校、いい大学に入ることは、手段であって目的ではない。その先にある仕事や、大きな夢を叶えるためのプロセスであるべきだし、学校教育の中で、学び方や学ぶことの楽しさを体得していくべきではないだろうか。それは個で学ぶことだけではなく、難しい課題を前にして、仲間と一緒に知恵を絞って解決し、そのことによって誰かに感謝されたり、喜ばれたりすること、これが学ぶ楽しさ、意欲になる。そんな経験を重ねていくことが、社会に出て、誰かのために働く原動力になる。だからこそ学校は子どもたちにとって必要な場なのだ。誰かと協働して学ぶことはオンラインではなかなか難しい。コロナが収束し、学校に子どもたちが戻ってきた時に、そんな学びを提供していける学校に、今、変わる時だと思う。学ぶ楽しさを知っている子どもは、きっとこの期間も自分なりに新しい知識を得て、オンラインでも学び続けているだろう。ワクワクしながら学校へ来た子どもたちに、より魅力的なコンテンツを提供できる、新しい学校であって欲しい。そしてそこには、テクノロジーがいつでも利用できる環境があって、当たり前に使えるような学校になって欲しい。
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