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執筆者の写真Toshihiro Doi

教室は間違うところだ

今週は大雪が降っている。急激に寒くなり、一昨日くらいから大分でも雪が続いている。九州は暖かいイメージを持つ人が多いと思うが、大分の冬は結構寒く、今日も積もって真っ白の景色だ。高速道路も数日間通行止めで、国道も渋滞、そして昼間も吹雪いている。今年の冬は寒い、と言われているが、災害にならないように、事故が起きないように色々な備えと注意が必要だ。


今週は少しずつ仕事もペースダウンし、年末に向けてジワリと終わりを迎えられそうだ。大きな研修も年内はもうない、こんな時こそたまっているすべきことや、読書などのインプットに時間を使っていきたい。そしてちょっとだけゆっくりしたい。





さて、多くの学校が冬休みに突入する。そして、学期末にコロナで学校を休む子や学級閉鎖になっているところも多かったと思う。そんな中、端末の持ち帰りや遠隔での対応はどうなっているだろうか。GIGAが始まってもうすぐ3年が経過しようとしている。授業中の使用は少しずつ当たり前の景色として馴染んできているが、家庭での使用や長期休みの際の対応、そして遠隔でのコミュニケーションは進んでいるだろうか。そういう意味でも、この冬の持ち帰りの様子が一つのポイントになるかもしれない。


そんな中でいろんな場面に遭遇する。学校の思い、家庭の思い、子どもたちの思い、そして教育委員会の思い、それぞれの思いや考えは少しずつズレているように思うことがある。例えば別の学校と遠隔でつなぎ、交流したり、日常的な教科学習にも活用したい、と思った時に、今はさまざまなツールが溢れていて、選択を迫られる。


子どもたちだけで、ものすごく簡単な手順で素早くつながるテレビ電話のようなものもあれば、それぞれのルームを教師権限で作成し、選択された子どもしか入ることのできないようなシステムもある。要するに、どこまで管理下に置いた上で使わせたいのか、という大人の都合で、子どもたちが使用できるシステムが決定されている。子どもたちだけで接続できるといろんなトラブルが起きる可能性があるから、制限下、管理下に置いておかなければならない。そう思ってしまいがちな学校の世界。


同じように、GIGAの端末においては、学習に不必要なサイトは閲覧できないようにする必要がある、と考え、フィルターでガチガチに制限をかけ、大人の考える”余計なこと”ができないような設定にする。その結果見たいサイトは閲覧できず、すごく子どもっぽい情報しか得られない学校の端末だったとしたら、どうだろうか。




子どもたちの大半がインターネット、SNSの世界で生きていて、個別の端末を複数所有し、自由な環境で家庭では使用している現実がある。なのに学校の端末は不便で制限がかけられ、大人の考える安心・安全な状態が保たれているのだ。


そういった様々な制限は、本質的に子どもを守れているとはいえない。本来であれば端末によらず、情報にアクセスする際には自分で判断し、取捨選択し、考えることができる能力や、危険を回避する能力を身につけることが何より重要で、そこができているかどうかが問われるべきだ。


国では、情報活用能力を具体的に表現すると・・

学習活動において必要に応じてコンピュータ等の情報手段を適切に用いて情報を得たり,情報を整理・ 比較したり,得られた情報を分かりやすく発信・伝達したり,必要に応じて保存・共有したりといったことができる力であり,さらに,このような学習活動を遂行する上で必要となる情報手段の基本的な操作の習得や,プログラミング的思考,情報モラル等に関する資質・能力等も含む

となっている。





「教室は間違うところだ」と言うのであれば、ICTの間違いも許容し、そこからどう学ぶかを考えるべきだと思う。それは学校でも家庭でも同じ。成長の過程で身につけていくスキルとして、その他のさまざまなものと同じようにしていく必要がある。


この端末は子どもたちのもの、ということをもっと尊重し、自由を与え、その途中に起きた間違いから何をどんな風に、どう学び取らせていくか、これを考えるのが先生や保護者の仕事であり、教育委員会の正しい在り方なのではないだろうか。


子どもの可能性を信じ、もっと自由を与えてほしいと思う。そうすることが子どもたちの創造力をもっと解放し、目指している姿に近づける手段なのではないだろうか。

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