• Toshihiro Doi

根っこに向き合う

強い雨が降ったり、嵐のような風が吹いたかと思えば、真夏のように暑い日もある。季節の変わり目、梅雨の狭間はコロコロと天気が変わり、気温の上下も激しく、しんどい時期でもある。今日はいよいよ田植えだ。


この忙しい毎日の隙間を縫って田植えの準備を進めてきた。今年も地域の人たちに支えられ、いろんなことを教わりながら準備してきた。毎年やっていても新しい発見があり、教えてもらうことはたくさんある。今時の米作りは植えるまでが一番大変だ。そんなことも自分で0からやってみて初めてわかること。やっぱりなんでも臆せずチャレンジすることで、見えてくる世界がある。





ここ2年くらい、このブログでも書いてきたが研修の中身がどんどん変容してきていることを感じている。いわゆる皆さんが思い描くICTの研修は、


①操作スキルを上げるための研修

②授業での実践事例を教えてもらう研修

③情報モラルに関わる研修


大まかに分けると3つに大別されていたと思う。実際はプログラミングだったり、動画の作成だったり、細かく分けるとたくさんあるが、主な目的としては先生が使うためのハードルを下げる、という目的のことが多い。同時に危険性を把握しておきたい、というモラルの研修も需要が高い。


しかし近年私はそのことによる限界も感じていた。県教委時代からずっと10年近くICTの研修を続けていて、今はそれも本業の一部としているので、色々と考えることも多い。どれだけ研修をしても、終わりが見えないのだ。忘れてしまったり、活用されなかったり、原因は様々ある。





『先生たちが研修を受け。スキルアップすれば活用率が上がり、タブレットを使った授業が実施され、授業はより良くなるだろう』という、多くの偉い人たちが考えたロジックは、正しくないと感じている。教員の研修を充実させ、使い方をレクチャーしても、大した効果は得られない、というのが実感だ。


もちろん研修にヒントを得て、そこから自分でCreativeに授業を創造できる人たちも”一部”いるが、どんなに研修を受講しても、一瞬気持ちよくなって終えるけど、翌日学校で授業に大きな変化が起きるかといえば、そうではない。


根本的に授業のフレームには変化はないし、授業支援アプリで一斉授業を効果的に行う、教師主体の、先生が気持ちよくなる授業が展開されていて、子どもたちがワクワクし、創造的に、主体的に学ぶ姿は見られない。大人の目線で「使いこなせた」感が出ているだけではないだろうか。





そうすると、先生たちの「授業とはこうあるべき」を変えていくしか方法はなくなってくる。だからこそ本質に立ち返る。そもそもどうして、いつ教師を目指したのか、その時どんな想いを持ってこの仕事を始めたのか、そして自分はどんな人間で、子どもたちに何を伝えたいのか。その人の根っこを掘り起こしながら、自分らしさを発揮し、解放していくことが必要だ。


その上で、子どもたちにどんな大人になって欲しいのか、どんな力が必要とされているのか、現実を見つめ、逆算した上で、今の授業を再設計する必要がある。ICTの導入や利活用は、その手段でしかなく、そもそも授業の枠組みをどう変えて、先生としての仕事のあり方、存在の意味はなんなのか、学校ですべきこと、学校でしかできないことを問い直すことを迫られている。


今は改革の真っ只中で、過渡期。正解がどこにあるのかもわからない。だからこそいろんなチャレンジをし、確からしい答えを求めていくことが必要だ。そんな風に感じ頑張ろう、と覚悟を決めた先生たちを私は私の立場で全力で応援したいと思う。





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