元小学校教員である私が、特別支援学校に関わるようになったのは、教育委員会に入ってからだ。当時から大分県はiPadの支援学校での活用を進めていて、初期の頃に整備していた。活用を支援するため私はその担当になった。私はそれまで小学校での勤務経験しかなく、全く未知の世界だった。
様々な学校を訪問し、さらには研修、授業実践のサポート、指導助言をしていかなければならなくなった。おかげでたくさん勉強することができた。幸いADEの仲間には特別支援のスペシャリストも多く、本当に色々教えてもらった。そして、自分の価値観や考え方は少しずつ変化していった。
3年前から遠隔交流授業に取り組むようになり、さらに想いは深くなっていった。その学校にがっつり入ってサポートしていく中で、多くの先生方と話すことができ、子どもたちに対する向き合い方や、細やかな支援、深い思いを知ることができた。今まで参加できなかった学校行事に遠隔システムを使って参加し、交流する様子を見て涙を流した。
昨日、県の特別支援教育課からの依頼で、県内の支援学校の先生が60名以上集まる研修会の講師をしてきた。退職した私に依頼してくださったことにも感激した。連休の間、近年の新しい動きについて再度勉強し、スライド作成をしたのだが、どうもしっくりこない・・。自分に求められているものはなんだろう?と再度思い直し、私にしか言えないことはなんだろう、と考え、全て作り直した。
「できないことができる」「困りを解消する」というiPadの活用からさらに一歩進め、
「可能性を引き出す自己表現のツール」として使ってはどうだろう?という提案をし
”攻めのiPad活用”という話をした。その後Creativeな体験をいくつかしてもらい、後半のディスカッション、と進めていった。
先生たちの話を聞く中で、Youtubeがあちこちで話題になっていた。私はYoutubeを見ることそのものは悪ではないと思っている。長時間見ている子どもに対して、情報モラル教育が必要だ、という話や、Youtubeばかり見るから自由に使わせられない、などという話になっていた。
Youtubeは今や当たり前に世界中の人が見るコンテンツだ。有益なものもたくさんあるし、仕事としても成立し、社会を変えるインパクトを与えることだってある。支援を要する目の前の子どもたちがどんなコンテンツに関心があるのか、それはその子を知るための重要な情報源だ。そこからの学びや授業、アウトプットまで発展できるような授業構築をするのが教師の仕事だと思う。Youtubeを動画コンテンツとして捉え、授業として成立させていく、という発想の転換が必要だ。これは特別支援学校に限ったことではないと思う。
よくわからない→危険→規制という流れは阻害要因でしかない。
そもそも授業のワクワクが持続し、探求できる課題があれば、そのためのツールとして、子どもたちはICTを使うはずだ。
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