Toshihiro Doi2021年12月10日読了時間: 3分発信することの価値や意義12月も10日を過ぎ、年末がやってきた。この時期になると1年を振り返るいろいろなランキングなどを目にするが、おかげさまで忙しく過ごしたこの一年は、世の中の流行を知らないまま終わりそうだ。仕事に関すること、子どもたちに関することのインプットは積極的に行ってきたが、それ以外のぼんやりした時間でのどうでもいいインプットはできなかった。そんなことにこそ、実は価値があったりすることもあるが、それができなかったのは少し心残りだ。いろんな気づきはそんな”余白”の中に隠れていたりする。今週は県内にはずっといたけれど、仕事は相変わらず全国の人たちとしていて、その分量は異常に多く、結構しんどい1週間だった。今週は「発信することの価値や意義」について考えてみたいと思う。退職・起業してから始めたこのブログも、今日で146本目になった。毎週土曜日の午前中にリリースする生活を146週継続できたことになる。もちろんしんどい時やネタがない時、書けない日もあったけどなんとか続けてこられた。毎週6枚の写真と、その1週間で自分が感じたこと、考えたことをアウトプットしてきた。頑張って孤軍奮闘している、全国のイノベーターの先生や教育委員会の人たち、踏ん張っている同志を、ちょっとでも後押しできるように、元気になってもらえるように、と思いを込めてきた。そんな思いに共感してくれた人が、メッセージをくれたり、シェアしてくれたり、コメントをくれたりする。楽しみにしてくれている人たちもいる。そして何より、自分の考えを定期的に1500字程度にまとめていく作業は、自分自身の頭の整理にもとても役立っている。成長しているかどうかはわからないけど、リアルタイムで発信し続けることで、自分の思考の鮮度は保たれている。1人一台端末の時代になり、子どもたちも発信のためのツールを全員が手にすることになった。しかし、その情報発信はまだ盛んに行われているとは言い難い。これまでのPC教室と同じ考え方で、「教室で調べ学習で活用してます」という話はよく聞く。いわゆる”調べ学習”は調べることが目的化してしまっていることが多い。課題があって、検索し、その情報を精査し、まとめ、最終的に発信、アウトプットするところまでを一連の流れにする必要がある。そしてさらにアウトプットした相手にフィードバックをもらい、振り返るところまでできたら、一つの学習としての価値は高まる。いい情報、熱量の高い発信は人の心を動かすことができる。自分の思いをオープンにして発信することで、相手も心を開いてくれる。そうやって好循環を生み出していくのだ。そして何より人に何かを伝えることは楽しい。わかってくれたり、共感してくれると自信になる。子どもたちにもそんなことに気づいて欲しい。そうやって積み重ねた経験が、スキルの向上につながる。わかってもらうためにできる工夫はまだまだたくさんあるはずだ。その発信を助け、自分の言葉だけでなく、思いをカタチにする方法をたくさん与えてくれるのがiPadだと思う。表現方法を多様化し、幅を広げ、厚みを持たせてくれる、頼れる相棒になるのだ。苦手な先生たちにも、そんな風に思ってもらえると、使いたくなる道具になるのかもしれない。「効果的な活用」のための方法は、使う人が決めればいいし、使いたくなるような場面を作ったり、使わなければできない課題に直面できるような環境を準備すればいいのだ。誰もがそんなツールを使えることができるようになった今、発信することの価値や意義について、もう一度考え、自分自身も臆せず実践していきたい。
12月も10日を過ぎ、年末がやってきた。この時期になると1年を振り返るいろいろなランキングなどを目にするが、おかげさまで忙しく過ごしたこの一年は、世の中の流行を知らないまま終わりそうだ。仕事に関すること、子どもたちに関することのインプットは積極的に行ってきたが、それ以外のぼんやりした時間でのどうでもいいインプットはできなかった。そんなことにこそ、実は価値があったりすることもあるが、それができなかったのは少し心残りだ。いろんな気づきはそんな”余白”の中に隠れていたりする。今週は県内にはずっといたけれど、仕事は相変わらず全国の人たちとしていて、その分量は異常に多く、結構しんどい1週間だった。今週は「発信することの価値や意義」について考えてみたいと思う。退職・起業してから始めたこのブログも、今日で146本目になった。毎週土曜日の午前中にリリースする生活を146週継続できたことになる。もちろんしんどい時やネタがない時、書けない日もあったけどなんとか続けてこられた。毎週6枚の写真と、その1週間で自分が感じたこと、考えたことをアウトプットしてきた。頑張って孤軍奮闘している、全国のイノベーターの先生や教育委員会の人たち、踏ん張っている同志を、ちょっとでも後押しできるように、元気になってもらえるように、と思いを込めてきた。そんな思いに共感してくれた人が、メッセージをくれたり、シェアしてくれたり、コメントをくれたりする。楽しみにしてくれている人たちもいる。そして何より、自分の考えを定期的に1500字程度にまとめていく作業は、自分自身の頭の整理にもとても役立っている。成長しているかどうかはわからないけど、リアルタイムで発信し続けることで、自分の思考の鮮度は保たれている。1人一台端末の時代になり、子どもたちも発信のためのツールを全員が手にすることになった。しかし、その情報発信はまだ盛んに行われているとは言い難い。これまでのPC教室と同じ考え方で、「教室で調べ学習で活用してます」という話はよく聞く。いわゆる”調べ学習”は調べることが目的化してしまっていることが多い。課題があって、検索し、その情報を精査し、まとめ、最終的に発信、アウトプットするところまでを一連の流れにする必要がある。そしてさらにアウトプットした相手にフィードバックをもらい、振り返るところまでできたら、一つの学習としての価値は高まる。いい情報、熱量の高い発信は人の心を動かすことができる。自分の思いをオープンにして発信することで、相手も心を開いてくれる。そうやって好循環を生み出していくのだ。そして何より人に何かを伝えることは楽しい。わかってくれたり、共感してくれると自信になる。子どもたちにもそんなことに気づいて欲しい。そうやって積み重ねた経験が、スキルの向上につながる。わかってもらうためにできる工夫はまだまだたくさんあるはずだ。その発信を助け、自分の言葉だけでなく、思いをカタチにする方法をたくさん与えてくれるのがiPadだと思う。表現方法を多様化し、幅を広げ、厚みを持たせてくれる、頼れる相棒になるのだ。苦手な先生たちにも、そんな風に思ってもらえると、使いたくなる道具になるのかもしれない。「効果的な活用」のための方法は、使う人が決めればいいし、使いたくなるような場面を作ったり、使わなければできない課題に直面できるような環境を準備すればいいのだ。誰もがそんなツールを使えることができるようになった今、発信することの価値や意義について、もう一度考え、自分自身も臆せず実践していきたい。
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