今年の春、長男、長女が卒業した。3つ違いのふたりは小学校と中学校を卒業し、高校、中学へと進学する。必然的に2校種の卒業式に出席することになる。現役の頃は毎年のように送り出す職員だったり、担任だったが、保護者として出席する卒業式だ。
職業病として気になってしまうのが音響であったり、装飾、演出などだ。ついつい色々なことを見回して気にしてしまう。ひと昔ほど、華美な装飾はなくなり、すっきりした会場づくりだったように感じた。地域差はあるものの、過剰な演出などもなくシンプルな構成だった。
教職員もよく知っているし、挨拶している方々も顔なじみの方ばかりだ。小さな田舎の学校だからこその、色んな人の顔の見える式だった。
子どもたちは感動の涙を流し、本当に心温まる卒業式で、特に中学校は先生一人ひとりとの思い出を子どもたちが呼びかけ、想いを伝えていた。きっと先生たちもうれしかったし、思い出が蘇ったことだと思う。やはり子どもたちの想いのこもった言葉や歌は人の心を動かす。私も現役の頃は子どもたちにそう話していた。
元々、皆さんのよく知る別府市の生まれだった私たちが、わざわざこの日出町大神(ひじまちおおが)というとてもありがたい名前の土地に来たのも、先週ブログに書いた農業をしたかったことや、田舎で子育てしたかったことが理由だ。毎日3キロ近くある通学路を歩いて通わせたこともあり、本当に地域の中で育ててもらった思いは強い。良くも悪くもみんな知り合いのコミュニティが形成されている。
「開かれた教育課程」といわれるが、そもそも学校や地域の関わりの度合いはその土地や学校の風土によるところが大きい。子どもたちが元気に通い、のびのび育つためには学校の先生のみに依存するのではなく、チームとして地域の住民であったり、保護者が関わりの意識を持つことが肝要だ。そしてそういう風土を作っていくのは、管理職のあり方だったり、想いだと思う。どんな学校を作るか、というビジョンがあればこその学校経営だ。
それは教諭も同じで、どんな子どもたちを育てたいか、そのためにどんな授業を展開すべきか、教材をどう扱うか、じゃあそこにどんなツールが必要か、ICTはどう寄与できるか・・・というように落とし込んでいくべきだと思う。現状があり、課題を見出し、ビジョンを描き、授業をデザインする。「手段と目的」とよくいわれるが、基本の部分をもう一度見直し、子どもたちに対峙していきたいし、そのお手伝いやサポートは全力でしたいと思う。
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