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執筆者の写真Toshihiro Doi

2つの学校

先週から2つの学校を訪問する機会を得た。

A学校は、とても特殊な状況ではあるが、学校設立時から明確なコンセプトを持ち、全くゼロの状態から学校を作った。校舎の設計からカーテンの色、椅子の設計一つとっても、全て理由があり、想いが伝わる作り込みだった。

そこには、これからを生きていく子どもたちに必要な力はこれだ、という設立者の確固たる信念があり、通常の学校では悩んでしまう「部活動」や「学力」といったことは、あまり眼中になく、「気にしていない」という風だった。教員の年齢層はとても若く、受験に向けた指導力の面では不安がある、と言っていたが、そこを補う仕組みも準備していた。

生徒が探求していくための環境にはお金をしっかり使い、そのテーマ設定から論文を書き上げるまでには、それぞれの教員がしっかり関わり、向き合ってきたことがわかり、かなりのエネルギーを費やしていることが見て取れた。ICTの環境にも自由度があり、評価部分での活用も含めて、新しいことにチャレンジしていこうと踏み出していた。



B学校では全ての教員がLTEのタブレットを持ち、活用を始めようとしていた。まだ入り口ではあるが、管理職の中では絵が描けていて、それに向かって少しずつ歩みを始めようとしている。職員室は明るく、とてもいい人間関係が築けていた。校舎も古く、ベテランの教員がほとんどだが、とても意欲的で変わらなきゃいけない!という思いは持っているものの、どこからどう手をつければいいのか?迷い、悩んでいた。


公立学校は道徳、ICT、外国語活動、プログラミングなど、やらなければならないことがテンコ盛りで、いろんなところからの圧に押しつぶされ、疲弊している。

私立学校は、場所も環境もそれぞれ全く違うが、多くの学校の経営陣、管理職や先生たちは、「何かしなければ」「このままではまずい」と感じている。


そのきっかけがICTの導入でも、『学び合い』でも、SDGsでも、主体的・対話的で深い学びの研究でもいいと思う。大切なのは、オトナたちが子どもたちの未来の姿を描き、目の前の課題に実直に向き合い、それぞれの立場で関わることではないだろうか。

先生の働き方改革のために提出する資料などは、きっと要らないはず。

必要なのは先生たちの時間的、精神的な余裕と、思考する時間。先生だけでなく、社会全体が子どもたち、教育へ関心を持ち、関わる姿勢ではないだろうか?昭和、平成の教育をアップデートし、新しい時代を生きる子どもたちの、最高のサポーターになることが必要だ。

教員を辞め、教育行政を辞め、子どもたちのために働くことを決めた自分にできることはきっとあるな、と強く思う。地方から発信し、子どもたちや先生の何かの役に立ちたい。

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