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執筆者の写真Toshihiro Doi

体験し体感することの大切さ

今週は大きな台風14号が直撃した。久しぶりに大きな被害を伴う台風だった。再接近の前日から全く外に出ることができないくらいの雨と風、夕方以降は度々停電まで起きるくらいの大きなものだった。我が家も多少被害があったが、県内のあらゆるところで道路が寸断したり、長期間にわたって停電していたり、どうしようもない自然の猛威に苛まれた1週間だった。


開けてからも片付けなどに追われ、いまだに元の状態に戻っていないところも県内にたくさんある。毎週掃除していた海岸も、海藻と大量のゴミ、流木によって、悲惨な状況になってしまっていた。人の手では片付けられないくらいの大きな被害だ。県内の海岸線は軒並み同じ状況のようで、3年前の豪雨の時よりもひどい。元の綺麗な海に戻していくには時間がかかりそうだ。





うちの大きな被害としては田んぼだ。ほぼ全ての稲が今回の台風によって倒れてしまった。いわゆる「倒伏」という状態だ。その被害を目の当たりにして、しばらく呆然として、落ち込んでしまった。


4月後半から始めた田起こし、それから半年間見守ってきて、あと3週間で収穫、というところで全て倒れてしまったのだ。放っておいて雨などが降ると、すでに実っていた穂が発芽してしまうし、栄養を十分に取れなくなってしまった稲は、熟成できず、小さなお米になってしまう。


早速色々調べたり、ベテランの農家さんに相談した。倒れた稲を起こすことで少しマシになるかも、ということだったので、鉄パイプを使って手作業で起こした。それでも田んぼはとても広く、数日かけてもまだ半分くらいしか終わっていない。根元から傷んでしまった稲は、起こした反対側に倒れてしまう。同時に奥の山も土砂崩れしていて、木が覆いかぶさっていたので、それも切って処理した。





海岸の現状や倒伏した稲を目の当たりにしたときに感じた気持ちは、海岸清掃も、お米を作ることもちゃんと自分で体験してきたからこそのものだ。それも一過性のものではなく継続的に。災害のニュースを見たときに感じるのとは全く別の、何か大きな力に飲まれたような気持ちだ。これは、良い時も悪い時も知っていて、それでもなお自然の力に圧倒されたから生まれた気持ちなんだと思う。


体験からしか得られないものは、絶対あると思う。デジタルだけでは得られないような体感だ。よく「デジタルよりも体験をすべきだ」ということが言われるが、私も本質はそうだと思う。でも、それは体験だけすれば良いというものではなく、デジタルもそこにあり、その体験をより充実したものにしたり、広げていったり、補完していける存在としてあればいいと思うし、使わない選択肢はない。困った時はネットで調べるし、遠くにいる人に聞きたければ遠隔で聞けばいい。体験をアウトプットする時にもデジタルは有効だ。


以前、アバターを使った教育の実証をしていたときに、バーチャル見学をしていた。遠くの施設にアバターを持っていき、自分たちで操作しながら解説してもらい、見学をするのだ。あたかもそこにいるように、しかも自分の行きたいところに行けるアバターはとても面白かったし、特別支援学校の子どもたちにも喜ばれた。





興味深かったのは、そのアバターで見学した子どもたちの感想で、「リアルに絶対行きたくなった」と書いた子がたくさんいたのだ。バーチャルで知った世界に本当に行きたくなる、という心理の変化だ。このことから、バーチャル体験がリアルな体験への動機づけになることを知ったのだ。


デジタルと体験は切り離して考えたり、二極化するものではなく、それぞれの役割がある。「融合」というと少し違和感があるが、五感全てで感じることのできる実体験は尊いもので、いろんなことを子どもたちにも体験してほしいし、その瞬間に当たり前のようにデジタルがそこにある、といういい関係性を築いていきたい。


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