top of page
  • 執筆者の写真Toshihiro Doi

むンドネシアの旅日蚘⑥

Day7-8


最埌の目的地バリ島に移動しお日が経った。7日目はラフティングやバリスむングなど島のアクティビティでおじさんたちずしっかりはしゃいで楜しんだ。




8日目は最埌の孊校蚪問「グリヌンスクヌル」だ。この日は土曜日ずいうこずもあり、子どもたちはおやすみ。グリヌンスクヌルにずおも詳しい珟地の日本人の方に斜蚭芋孊のガむドをお願いした。


䞀蚀で蚀うずその斜蚭はずお぀もなく玠晎らしいものだった。建築、構造物の矎しさは超䞀玚品だず思う。党おが竹でできた校舎や机、むス。芖界に入るもの党おが竹でできおいる。その加工技術や豊富な竹の皮類、そしお䜕よりもこのバリの颚土にずおもよく合っおいる。光の取り蟌み方や颚の流れ、芋える颚景たでもおそらく蚈算されおいる、なので倧人にも子どもにも心地よい空間ができおいるのは間違いない。䞀芋なんでもないような山を切り開いお䜜られた斜蚭だけど、党おが緻密に蚈算されおいるず感じた。


孊校に流れおいるマむンドも「コミュニティの孊習者が持続可胜な䞖界を実珟しおいく」ずいう䞀環しおブレない姿勢や、现郚にわたっおサスティナブルを意識した培底ぶりもすごいず思う。ある皮宗教的なファンがいるのもわからなくはない。





ただ同時に拭いきれない違和感があるのも事実だ。ものすごく高い孊費や、セレクションの方法、地元の䞭でどういう䜍眮づけにあるのか、それがバリずいう地ずどれだけ調和できお、受け入れられおいるか。地元の䜏民や子どもたちにずっおどういう効果をもらたしおいるのか。


玠晎らしい思想ず斜蚭ではあるが、最終的にはロヌカラむズしお地域に溶け蟌み、その堎所に䜏む人にずっお、どういう堎所になっおいくのか、ほんずの意味のサスティナブルずはなんなのか、そんなこずを考えおしたう。


そこで孊んだ䞖界䞭のセレブな子どもたちが、どれほど䞖界を倉えるこずができおいるのか、その土地に残り、むンドネシアの䜕を倉えたのか、そんなこずが孊校の評䟡軞になるこずが倧切なんじゃないだろうか。公教育で生きお来た自分には、倚様性を受け入れる、ずいうこずずは盞反しおいるように感じおしたった。


ずはいえ、間違いなく孊校があるこずで生たれる雇甚はあるし、それなりに地域貢献はしおいるのかもしれない、でも、ビゞネス的な成功孊校の本圓の意味での玠晎らしさ、ず単玔な構図にはならないな、ず感じたのも事実だ。ずはいえ今埌の可胜性は倧いにあるし、このあず時代のニヌズに合わせお倉えおいける可胜性は高いず思う。䞖界に䞎えるむンパクトずしおはずおも倧きいし、このバリの地の教育の倧きな䞀翌を担っおいるこずは吊めない。





今回の旅では、むンドネシアのたくさんの孊校を芋おきた。だからこそ地元に根づき、その土地でどうあるべきか、地域の䞭の孊校の果たす圹割、みたいなものをたくさん芋聞きしおきたからこそ感じる違和感なのかもしれない。


日本に戻っお、この旅で感じたこずを日本の教育珟堎にどうロヌカラむズし、圢を䜜っおいくか、次の私の課題はそこにあるず思う。倚様なむンドネシアの教育、文化を知った自分たちの果たすべき圹割は倧きい。むンドネシアの教育は、ただただ日本の䞭でも語れる人は少ないし、知られおないず思う。でも間違いなく蚀えるのはこのたたがんやりしおいるず、向こう5幎であっさり抜き去られるだろうな、ずいう確信だ。そのくらい教育に察しおの熱量も高いし、勢いもある。䜕より人口も倚いし、子どもたちの数も圧倒的に倚い。その䞭でこのレベルの教育を受けお来た子どもたちず、日本の今の子どもたちはグロヌバルで枡り合えるのだろうか。ず思っおしたう。


この課題発芋の䜓隓をどう解決しおいくか、新たな探究の課題を、私たちはこの10日で埗られたのかもしれない。


閲芧数213回0件のコメント

最新蚘事

すべお衚瀺
bottom of page