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  • 執筆者の写真Toshihiro Doi

行動し、続けること

今年はお盆になっても暑さは続いている。当たり前のようにあった供養盆踊りは、軒並み中止され、帰省することもできないのも仕方ない、と受け入れている現実だ。いつもと違う夏、という言い方をされているが、これを当たり前にしてはいけない、と思う。ちゃんと戻すべきことは、この騒ぎが収まったら戻し、文化やコミュニティを維持しなければ、と思っている。


なくすことは簡単だけど、それをまた戻すことはすごくエネルギーがいる。田舎に住んでいるからこそ、人とのつながり、コミュニティを大切にしたいのだ。集えないことの寂しさや、つながりを絶たれている現実は、きっとじわじわ色んなところに影響を与える気がする。早く戻したい、と願う今日この頃だ。今週のブログは「行動し、続けること」というタイトルで書いてみる。





この夏、大分県を初め、全国を襲った豪雨被害はすごいものだった。特に大分県内はあちこちの川が氾濫し、色んな人から心配の連絡があった。学校に行く道が寸断した子や、家が被災してしまったところも多くあり、我が家も敷地の端っこの方が土砂崩れをした。そのくらい長い時間、多くの雨が降った。元々台風や大雨に対して耐性はある程度持っている地域だけど、ここ最近の天候は、それを凌駕してしまう。


災害の後のボランティアの様子がニュースで流れていて、コロナの影響もあり、県内に限るという制限があった。なんとなく私も行こうかな、と思って子どもたちに話したら「行きたい」との返答。中でも中学生の娘は積極的だった。調べてみると、ボランティアに中学生は参加できない、ということがわかり、がっかりした。


大雨が降った翌日、うちの家からみた別府湾に、たくさんの土砂や流木、ゴミが流れて浮いているのを見た。10年以上住んでいて初めての光景だった。そうしているうちに、知り合いの方から近所の海の清掃活動を行っている事を知らされ、お誘いされた。





娘に話すと、ぜひ参加したい、とのことで早速行ってみた。日曜日の朝の清掃ボランティア、町内の人だけではなく、近隣の市町からの参加者も多くあった。総勢20名程度、年齢や職業もバラバラだ。


作業手順を教わって早速始める。朝だけど影のない海岸は日差しが強く、汗びっしょりになる。黙々とゴミを拾い、大きな流木を数人の人たちと分類し、並び替えていく。人工ゴミは多く流れ着いていて、日本語表記でないビニールゴミもあれば、食べた後のトレイ、ふくろ、ペットボトル、割れたビンなど、裸足で歩くと怪我をしそうなものもたくさんあった。どれも砂や海水を含み、重くなっている。


わずか40分程度の清掃だが、たくさんの袋がいっぱいになるくらいのゴミだ。そのあと分類して、捨てにいくのだが、海から出たゴミは焼却炉を痛めるので、別に収集する必要がある、ということもわかった。参加者は、若い大学生や親に連れられた小学生、海外の人が参加することもあった。もちろん地元の人たちも多い。


清掃が終わると、なんとなく集まった人たちの中に不思議な連帯感が生まれる。きれいになった海を眺め、なんともいえない、いい気持ちになる。もちろん全部は終わらないし、また新しいゴミは流れ着くので、来週も来よう、となるのだ。





毎週スケジュールを空けて参加することは、簡単ではない。でもそこには、参加して、行動したからわかる充実感や、継続して行くことで、ちっちゃなコミュニティが少しずつ形成される様子がよくわかる。


災害のボランティアに参加したい、と願った子どもの気持ちは全て叶えることはできなかったけど、地元の海で、親子で清掃活動に参加できたことの意味は大きい。何より地域の課題に、小さな力ではあるけど向き合えたことが嬉しいし、きれいな海は気持ちがいい。


学校ではないところにも、学びの種はたくさんある。これを学校教育の中で、どこまで地域に寄り添い、教育課程に落とし込んでいけるのか、開かれた学校教育はこういったところにヒントがあるかもしれない。

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