Toshihiro Doi2020年2月1日読了時間: 3分イギリスの文化に触れて感じたことイギリスから戻って、一気に今週の仕事モード。さっき東京から戻ってきてこのブログを書いている。日本はとっても天気が良く、空の色もとても綺麗だ。東京の街も太陽に照らされて綺麗だった。今週はイギリスのお話をもう一週書こうと思う。今週のブログは「イギリスの文化に触れて感じたこと」とした。今回の大きな目的は先週ブログに書いたBettという大きな展示会だったが、せっかく12時間もかけて初のヨーロッパだったので、イギリスという国についてもいろいろ知りたいと思っていた。ただ、それまでの日々があまりにも忙しく、案の定全く事前準備もできず、夜中に慌てて服を詰め込んで出かけた。検索することもできず、国の位置すらも危うい状態で出発した。2日目に訪れたBettでは、子どもたちが展示会にたくさんいてびっくりした。日本の展示会では絶対に見ない光景だ。翌日訪れた大英博物館でも、入り口のところで現地の子どもたちがたくさんいた。大英博物館は世界中のお宝が一堂に会したかのような場所だった。それぞれの国の歴史や文化がわかり、その展示の仕方も国ごとに仕切られていてわかりやすかった。子どもたちはタブレットを持ってARを使って見学をしたり、解説の話を聞いたりと今時の見学の仕方だった。日本と違うのは、気になったことはどんどん聞いたり、会話したり、とにかく大人も子どもも自由なのだ。日本の博物館などは、シンとしていてヒソヒソ声で話をするが、イギリスではそうではない。気に入ったものの前で模写する人や、ずっとそこにいて鑑賞する人、写真に収めるのも自由だ。翌日は各自自由行動な1日だったので、私は市場やマーケットを一人巡った。現地の人々の暮らしている日常を見たかったからだ。カラフルな野菜やフルーツ、魚介類、チーズやお肉など、日本では見られないような食材がたくさんあり、気さくなお店の人との会話も楽しい。若者がいくようなハンドメイドのマーケットに行ったり、古着がたくさん並ぶマーケットを訪れたりした。壁の落書きもアートを感じるものばかりだった。23,000歩も歩いて充実の1日を過ごす事ができた。一番感じたことは、社会の中での”子ども”がとても大切にされている、という事だ。Bettでも博物館でも、街中でも、子どもに対する目線がとても優しく、寛大だ。先生が引率している場面でも、一緒によく話し、笑っている。ブースの人たちも子どもたちにも丁寧に説明し、理解を得ようとし、子どもたちからの話も目線を同じ高さにして、しっかり聞いていた。博物館でも子どもたちに対して、どの大人も優しく微笑みかけ、困っている子に声をかける。小さな子どもをかかえている親にも優しいのだ。もう一つは文化レベルの高さだ。どこを写真に撮っても絵になるような街だが、博物館、美術館などは全て無料。世界的な名画も普通に展示している。広場のタイルにもアートな作品が描かれていて、ストリートミュージシャンのレベルもかなり高い。広場だけでなく、地下鉄の通りや、電車の中でもミュージシャンが演奏している。そしてそれが当たり前の光景、日常として存在する。こんな環境で育ってきた子どもたちは、きっと感性は磨かれ、豊かになるだろうし、人にも優しくできるのではないか。アートに対する考え方も変わってくるに違いない。良い悪いという話ではないが、そういった文化の積み重ねが感性を育み人格を形成していくはずだ。これは教育、学校の話だけではなく、社会全体の話だ。そんなことを感じる事ができたことも、今回の大きな収穫だ。STEAMにたくさん触れたイギリスの旅だった。
イギリスから戻って、一気に今週の仕事モード。さっき東京から戻ってきてこのブログを書いている。日本はとっても天気が良く、空の色もとても綺麗だ。東京の街も太陽に照らされて綺麗だった。今週はイギリスのお話をもう一週書こうと思う。今週のブログは「イギリスの文化に触れて感じたこと」とした。今回の大きな目的は先週ブログに書いたBettという大きな展示会だったが、せっかく12時間もかけて初のヨーロッパだったので、イギリスという国についてもいろいろ知りたいと思っていた。ただ、それまでの日々があまりにも忙しく、案の定全く事前準備もできず、夜中に慌てて服を詰め込んで出かけた。検索することもできず、国の位置すらも危うい状態で出発した。2日目に訪れたBettでは、子どもたちが展示会にたくさんいてびっくりした。日本の展示会では絶対に見ない光景だ。翌日訪れた大英博物館でも、入り口のところで現地の子どもたちがたくさんいた。大英博物館は世界中のお宝が一堂に会したかのような場所だった。それぞれの国の歴史や文化がわかり、その展示の仕方も国ごとに仕切られていてわかりやすかった。子どもたちはタブレットを持ってARを使って見学をしたり、解説の話を聞いたりと今時の見学の仕方だった。日本と違うのは、気になったことはどんどん聞いたり、会話したり、とにかく大人も子どもも自由なのだ。日本の博物館などは、シンとしていてヒソヒソ声で話をするが、イギリスではそうではない。気に入ったものの前で模写する人や、ずっとそこにいて鑑賞する人、写真に収めるのも自由だ。翌日は各自自由行動な1日だったので、私は市場やマーケットを一人巡った。現地の人々の暮らしている日常を見たかったからだ。カラフルな野菜やフルーツ、魚介類、チーズやお肉など、日本では見られないような食材がたくさんあり、気さくなお店の人との会話も楽しい。若者がいくようなハンドメイドのマーケットに行ったり、古着がたくさん並ぶマーケットを訪れたりした。壁の落書きもアートを感じるものばかりだった。23,000歩も歩いて充実の1日を過ごす事ができた。一番感じたことは、社会の中での”子ども”がとても大切にされている、という事だ。Bettでも博物館でも、街中でも、子どもに対する目線がとても優しく、寛大だ。先生が引率している場面でも、一緒によく話し、笑っている。ブースの人たちも子どもたちにも丁寧に説明し、理解を得ようとし、子どもたちからの話も目線を同じ高さにして、しっかり聞いていた。博物館でも子どもたちに対して、どの大人も優しく微笑みかけ、困っている子に声をかける。小さな子どもをかかえている親にも優しいのだ。もう一つは文化レベルの高さだ。どこを写真に撮っても絵になるような街だが、博物館、美術館などは全て無料。世界的な名画も普通に展示している。広場のタイルにもアートな作品が描かれていて、ストリートミュージシャンのレベルもかなり高い。広場だけでなく、地下鉄の通りや、電車の中でもミュージシャンが演奏している。そしてそれが当たり前の光景、日常として存在する。こんな環境で育ってきた子どもたちは、きっと感性は磨かれ、豊かになるだろうし、人にも優しくできるのではないか。アートに対する考え方も変わってくるに違いない。良い悪いという話ではないが、そういった文化の積み重ねが感性を育み人格を形成していくはずだ。これは教育、学校の話だけではなく、社会全体の話だ。そんなことを感じる事ができたことも、今回の大きな収穫だ。STEAMにたくさん触れたイギリスの旅だった。
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