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  • 執筆者の写真Toshihiro Doi

モラル

今週は琵琶湖のほとりの街に4日間も滞在していた。琵琶湖もほぼ初めて訪れたのだが、当たり前だが波もなく、海の匂いもしない湖。最初は違和感があったが、その綺麗さと静かさや、湖面に映る景色を見ながら、とっても癒された。


滋賀県高島市は街並みもとっても綺麗でよくデザインされていた。あったかい人も多く、いい雰囲気の中研修することができた。一緒に研修した人たちも、以前からよく知る仕事仲間で、一つのチームとしてプロジェクトを成し遂げたような一体感を感じることができ、きつい研修だったが、日々バージョンアップされ、いいものになった。





今週のブログは「モラル」とした。宿題代行を禁止する文部科学省の話が話題になっているが、そもそも・・・の話である。売る方も売る方だが、買うのもどうかと思うし、もっと言えばそれに対して企業と合意文書を出す文部科学省もちょっとおかしい。「自分で取り組むことの大切さを周知」「子供達の未来を第一に考えて」とその文書には記載がある。以前のブログで宿題については書いたが、なんだかなぁ、とため息が出てしまう。これこそモラルの話ではないだろうか。宿題の意義についても思うところがあるが、その他の問題も出てきている。



私が行う研修の中で「情報モラル」がある。iPadの活用やプログラミング、その他環境に応じて行なっているが、一番バージョンが多いのは実はこの情報モラルだ。相手によって関心ごとにズレや違いがあるため、対象者や時間の長さに合わせて全て作り変える。カードゲームを行うこともあれば、事前アンケートをしたり、動画を見せて考えたりとバリエーションはたくさんだ。


情報モラルを語る人たちはそんなに多くはないが、学校で行われる講演会では概ね「危険性を知らせて、周知啓発する」というスタイルだった。学校からは怖い部分をたっぷり話して、子どもたちをビビらせてください、というようなオーダーがちょくちょく入る。



内閣府のデータを見ると、スマホの所持率は当然ながら年々上がり、近年では乳幼児のインターネット利用の問題も話題になっている。臭い物に蓋をする議論はすでに子どもたちには通用しない。アップデートできない大人の考え方やデータの収集力のなさでいつまでも情報モラル教育も進化していない。


研修の中では一緒に成長しましょう、子どもたちに自分ゴトとして捉えさせ、議論する場を作りましょう、と話している。日々変わっていく子どもたちの興味関心ごと、コンテンツ、アプリを追い続けることに大きな意味はなく、本質の議論をするべきだ。そしてこれからも、長く上手に付き合っていくために、自分たちで考えるべきなのだ。



危険だから使わせない議論を今すぐやめて、そのリソースを、進まないICT環境整備と連動させていくのが普通の考え方だ。災害時の対応や登下校の安全のことも考える必要があるし、もう社会はそれを前提として動いている。管理し、統制したがる学校教育から一歩抜け出すため、授業をアップデートするためにも、情報モラルのあり方、BYOD(Bring your own device:自己端末の持込)などについて再考すべきではないだろうか。大人のメディアとの付き合い方は、今の子どもたちにとっての成長の鍵となる。社会、家庭、学校が関わり合いながら、真剣に考えるべきことではないだろうか。

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