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  • 執筆者の写真Toshihiro Doi

Creativeについて考える

今日は朝から冷たい雨が降っている。気温も上がらず冬の足音が聞こえてくるようだ。稲刈りも終わり、農業はひと段落したが、研究、研修シーズンに入り、GIGAの整備も始まり、忙しくなってきた。


今週はずっと5日間の京都に滞在していた。その間ずっと考えていたのが今日のブログのタイトルだ。「Creativeについて考える」とした。






全国の自治体で、少しずつiPadの導入が始まっている。遅くとも年度末までには、99.6%がGIGAスクール構想の中で一人一台端末の整備を完了する。そんな中で考えていくべきことは、どんな教育をめざし、どんな授業を行い、どんな子どもたちを育てていくのか、ということだ。


もちろんそれぞれの教育委員会に、これまでの実態や課題から見えてきたことで作成した教育のビジョンがある。そして、それぞれの学校目標があり、学年目標、学級目標がある。しかしその壮大なビジョンだけで授業デザインを組むことは難しく、実際の具体的なメソッドや方法論が現場にはある。いわゆる〇〇スタンダードや、〇〇式、〇〇メソッド、のようなものだ。


ある一定の型があり、それを踏襲することによって日々の授業が進んでいくのだ。残念だが、そのプランをどれくらいの教員が実施しているか、ということが一つの成果指標となり、型どおりの授業が評価される。若年層の教員が増え、年齢構成が歪になっている現状では、ある意味仕方のない部分もある。ベテラン教員のノウハウの伝授は、随分前から現場の課題になっている。





何が起こるかわからないこれからの世の中で、こんなに速いスピードで変わっていく世界で、子どもたちにどんな力をつけていきたいのか。子どもたちの創造性(Creativity)を育むために、どんな授業を展開すればいいのか。


『Creativeな授業』・・わかるようでとても難しい。でも、教員をしていると、子どもたちが思いもよらないような発想で、ポーンと飛び出ていく瞬間に出会うことがある。想定してなかったような素晴らしいアウトプットが出てくる時がある。触発された子どもたちがさらに自分たちで昇華していき、超えていく瞬間だ。そんな時、おそらく創造性は大きく喚起されているんだと思う。その時に、それを一緒に喜び、面白がり、認めてあげたい。そんな瞬間がたくさんあるのがいい授業なのかもしれないし、それを共有できる仲間や、先生がいることでもっと伸びていくはずだ。





自分自身に置き換えて考えてみた。今の仕事をしていく中で、日々いろんな人たちと会話し、困っていることを聞いて、自分にできる解決方法を提案したり、実際に研修や講演を行う。そしてその原動力は、その人たちが『子どもたちのために』という思いを持っているかどうかだ。


思いを持っているけど、困っている人のためには、全力を尽くし、無いものでも生み出す。寄り添い、相手の立場に立って一緒に悩む。これが自分自身の最大のモチベーションだし、そこはブレてないと思う。突き詰めて考えていくと、Creativeの原動力は「誰かのために」ということかもしれない。


授業の中でも「誰かのために」という思いを子どもたちが持つことができれば、相手の立場に立って、喜ぶ顔をイメージしながら、新しい発想や創造力が湧くのではないだろうか。そんな授業がどんどん生まれる仕組みや仕掛けを考えていきたい。

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