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  • 執筆者の写真Toshihiro Doi

PTA活動ってどうあるべき?

今週は雨が降ったり、天気になったり、コロコロ変わる春の天気の連続だった。散歩していると野いちごがたくさん実をつけ、緑の草むらの中にピリッと真っ赤な実を見つけ、思わず入り込んで毎日食べながら散歩している。毎年のポイントもあれば、新しく見つけた場所もあって、この季節ならではの楽しみだ。


子どもたちが小さいときは、採るのに夢中になりすぎて、学校に遅刻したこともあったが、その気持ちもよくわかる。それを毎年思い出して、ほっこりした気持ちになる。田舎暮らしの特権だ。長かった連休もあっという間に過ぎた。今年は田んぼの草刈りや田おこしにたくさん時間を使った。水路の改良も進み、少し悩みのタネから解放されそうだ。着々と準備を進め、6月の田植えまで頑張らねば。





うちの子どもたちは高校3年、中学3年、中学2年になった。受験生二人を抱えているのだ。今年いろんなご縁もあり、中学校のPTA会長をすることになった。幼稚園の時も役員をしていたし、小学校でもしたことがあった。何よりその活動を、現場の教員の時にもずっと見ていたし、たくさんの保護者と関わるきっかけにもなっていた。やってみると大変なこともあるが、結構楽しくていまだにつながりのある保護者も多い。同世代で子育てする異業種の集まりは、刺激的で利害関係がないので純粋に楽しい。


PTAとは、P=Parents(保護者)、T=Teacher(先生)、A=Association(組織)の略。子どもたちの成長のために、親(Parent)と先生(Teacher)だけでなく、家庭、学校、地域社会がお互いに協力し合ってさまざまな活動を行う集まり


となっており、日本で始まったのは1945年。アメリカから派遣された教育の専門家が、戦後の日本の教育について示した基本方針のひとつに「PTAの設立と普及」が掲げられ、文部科学省を通じて全国的に広がった、とある。戦後学校に潤沢な資金もない中で、子どもたちのために、という思いで立ち上がったのだ。





昨年度、おそらく全国的にこのPTAが主催する様々な活動はほとんど実施できなかったのではないか。昨年度の役員からの引き継ぎで、そんなことを再認識した。PTAの活動、生徒会の活動、地域の活動、学校の行事、色々なことに制限がかかり、実施の可否をその都度検討し、判断を迫られる。もちろん今話題のオリンピックもそうだろう。


年度始めになると、PTAの役員選考についての話題になり、色々な批判の的になる事も多くなってきた。もちろん任意団体であり、個人情報保護の観点からも色々変えなくてはいけない時期に来ている事もたくさんある。そして長年の活動で形骸化されてきたことや、そもそもの目的を見失ったもの、負担だけになっていて、非効率的な事もたくさんある。


何もできなかった1年を経て、それをもう一度組み直す必要があるのかもしれない。そもそもの目的も含め、教育的な意義や、子どもたちのためになっているかどうか、再検討は間違いなく必要だ。そして一番欠けているのはデジタル化だ、とも感じた。紙のアンケートを「正」を書いて集計している現状、印刷された紙をノートに貼り付け、保管している現状、会計や記録も全てアナログだ。出欠の連絡も紙で行っている。学校文化の中で取り残されているのは授業だけではない。





保護者のほとんどがスマホを手に持ち、日常的に使う中で、デジタルの利便性を日常化する必要がある。PTA活動も同じだ。それが子どもたちの学習の中でのデジタルを許容するきっかけにもなる。学校だけはいつも紙、アナログ、という概念をちゃんと変えていきたい。


災害やウイルスによって日常が奪われ、有事の対応を迫られ、不要不急の外出を控えろ、と言われたあと、残るのは地域のコミュニティだ。コミュニティスクールや、地域連携の必要性はずっと学校教育の中でも言われてきているが、PTA活動はその大きなコミュニティの源泉になるかもしれない。今だからこそ、どうあるべきか、問い直し変えるタイミングかもしれない。保護者も先生も、ニコニコ明るく活動できる場所になり、それが子どもたちにとっても有意義なものになるためにどうあるべきか、考えて進めていきたい。




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