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  • 執筆者の写真Toshihiro Doi

どんな先生に?

雨が降ったり、秋晴れだったり、少しずつ季節の移り変わりを感じる。今までなら明るかった朝の時間も、少し薄暗い。夜の星は夏よりもくっきり、澄んでいるように見える。大分の田舎に暮らすと、少しの季節の変化を日常の中で感じることができる。子どもたちの体育大会は午前中のみの開催だけど、やっぱりちゃんとこの時期に実施することができ、少しホッとする。しっかり盛り上げてあげたい。


今週も、いろんな人たちと毎日のようにzoomなどを使って会話しながら、いろんな新しいことを企画している。それぞれに困りがあり、ビジョンがある。対話をし、最適解を導きながら、合意形成を図る。だいぶこの生活にも慣れてきた。





今週のブログは「どんな先生に?」というタイトルにした。私たちが、昔よくテレビで見ていた理想の先生像は、熱血で、子どもたちのために夜遅くまで奔走し、人生を説いたり、体当たりで子どもたちに向かっていく先生だった。そんな熱い先生がみんな大好きで、なんとなくいい先生のイメージは作られてきた。


しかし、実際の現場はそうではなく、地味な文書の処理や、長時間にわたる会議、煩わしい人間関係、大量の事務処理、お金の勘定など、子どもに向き合う以外の仕事もとても多い。多忙化、と言われてはいるがその実態は、まだまだ知られていないし、データや時間だけでは見えない、いろんなプレッシャーもある仕事だ。


さらには、教育基本法や、教育公務員特例法によって”研究と修養”に励み、努めなければならない。研究といえばこれまでは、児童理解や、教師の発問の質の向上、板書の技術向上、教材研究など、多岐にわたるテーマで、脈々と受け継がれながら全国の学校で進めてきた。その研究は、教員の質の向上に寄与していて、日本の先生の指導力は、世界的にもかなり高い評価を得ている。





日本の教育の質を高め、一定に保っているのは研究の賜物だと思うし、大きな財産だ。

しかし、次年度以降本格的に1to1の環境に、一気に全国の全ての自治体が整っていくと、これまで積み上げてきた授業技術は、どれだけ役に立つのだろうか。


何かを教え、伝えるための技術や方法論が、これからのGIGAの教育にどこまで耐えることができるだろうか?手元に情報端末を全員が保持し、世界の情報ソースとつながることが前提となってしまうと、これまでの、教師が子どもたちに対して、色々なことを上から教授する、という構図がなくなるだろう。





本質的に私は、これからの先生にはもっと自分らしく、自分にしかできない授業や学級経営ができるようになってほしいと願っている。子どもたちが出会う、親以外の大きな存在である先生は、影響力もとても大きい。子どもたちはいろんな個性ある先生たちに出会い、多様な価値観やものの考え方を身につけてほしい。


そのためには、いろんなことから解放し、余白を生んでいく工夫が必要だ。そして何より、先生自身が深くメタ認知し、自分の個性を活かしながら子どもたちと関わることができ、子どもの学びのパートナーとして伴走できる先生を増やしていきたい。学校を、先生にとっても楽しい学びの場にしていきたい。


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