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  • 執筆者の写真Toshihiro Doi

インドネシアの旅日記④

Day5


インドネシアの旅もいよいよ半分まできた。みんなの疲れも蓄積し、徐々に回復が難しくなってきて、若干食欲も落ちてきている。でもここマランは秋の入口のような気候で、昼間でもとっても涼しい。夜になると肌寒いくらいの気温になる。20度を切るくらいまで下がるので上着が必要だ。

交通量もジャカルタなどに比べると少なく、同じように4人乗りのバイクは走っているけど、空気は少し澄んでいる。疲れた体には心地よい避暑地のような場所だ。




今日は朝から再び学校訪問に出かけた。全員を3チームに分け、小学校、特別支援学校、高校に訪問した。私は小学校に行った。


小学校で通されたのはテクノロジー活用を主とした部屋で、大きなモニターがあったり、VRを使った学習なども行なっているようだ。私も代表者として挨拶させていただき、校長先生の話や、学校紹介などをしていただいた。


外に出ると休み時間、子どもたちは力一杯走り回りながら遊んでいた。多くの子が売店で自由に食べたいものを買って、その辺で腹ごしらえしていた。たくさんの子どもたちが駆け寄ってきて、あっという間に大きな輪になった。ニカっとした笑顔で、屈託なく笑う子どもたち、「どこからきたの?」「名前は?」「教室にはきてくれる?」次々に話しかけてきて、ハイタッチしたり握手したり。有名人が来たかのような大騒ぎだ。



その後、学校の施設を見て回ったのだが、どんどん教室から子どもたちが出て来て、キャーキャー言いながら手を振ってくれる。そのあと5年生の教室にお邪魔した。授業の様子を見せてもらって質問タイム、少しの時間だったけど交流ができた。


インドネシアの子どもたちは、とても人懐っこく、子どもらしい姿をたくさん見せてくれた。もし日本の学校にインドネシアの人たちが来たらどうだろう。子どもたちは同じように興味を持ち、話しかけたい、触れ合いたい、と思うはずだけど、きっとこうはならない。先生の表情を伺って、相手の顔色を伺って、会釈くらいするかもしれない。子どもの思う素直な感情のまま行動には移せないだろう。あんなに一瞬で間を縮めてくることも難しいだろう。


どちらが良い悪いはわからないけど、なんとなく日本の子どもたちの方が窮屈で、子どもらしくないと感じてしまった。私たちが子どもたちに求めるいわゆる授業規律や、マナーのようなものは知らないうちに、子どもたちの素直な感情にブレーキをかけているのかもしれない。


夕方からは、現地の大学生ガイドと共に自由行動だった。カラフルな村に行ったり、市場に行ったり、ペットの市場や、花の市場にも連れて行ってもらった。モスクにも少しだけ入ることができた。貧困層が暮らす村も見ることができたし、深刻なゴミ問題についても現地の大学生と話を深められた。




ガッツリ中には入れなかったけど、マラン最大のモスクにでかけ、そのなんとも言えない神々しさや、荘厳さ、そこから溢れるパワーのようなものを肌で感じることができた。イスラム教徒のたくさんの決まりごとの実態についても深堀って聞くことができ、すごく人間味を感じることができたし、私たちの持っているイメージとも違うことを知ることができた。時代と共にいろんなことは変化していて、教科書の知識だけでは知り得ないリアルを感じることができた。ためらいながらも、言葉を選んで実態を話してくれた大学生の友人には感謝しかない。


今日も一日とっても充実していた。どこに行っても、何を見ても考えることはたくさんある。そしてその感じた違和感やその時考えたことを伝えて、一緒に話せる仲間がいることはとってもありがたい。消化しきれなかったモヤモヤも、戻って対話を繰り返すことで、昼間抱いた感情を消化できている。こうやって対話できる仲間がいることは幸せだ。

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