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  • 執筆者の写真Toshihiro Doi

授業の上手い先生

週明けはもう11月、今年もあと2ヶ月になった。年間通して唯一仕事を放棄し、ゆっくりできるお正月までもう少しだ。朝晩は結構寒さを感じる日が多くなってきた。天気がいいと昼間はポカポカの陽気だ。紅葉も少しずつ進んでいて、庭の花たちは寂しいけど、もみじの葉の赤い色は綺麗だ。


今週はオンライン研修、福岡日帰り、再び京都、大阪と忙しい一週間だった。次年度の予算獲得に向けてもじわじわと動きが活発になってきた。当初予算をどういうプランで取っていくか、悩ましい時期でもある。






秋から冬にかけてのこの時期は、研究授業、公開授業がとっても多い。モデル校やたくさんの人材育成を抱えているので、授業を見る機会もたくさんある。授業を見て、指導講評を頼まれることがほとんどなのだが、いきなり指導案を渡されて授業を見にいくパターンと、オンラインで授業の構想から一緒に考え、その先生の思いに触れながら構築し、最終的にその授業を見にいくパターンがある。


私としては、後者のパターンの方がありがたいが、現状はそのオンライン相談を受けすぎて、ちょっとパニック気味だ。そもそも授業をする先生が、子どもたちの課題をどんなところで感じていて、その授業で子どもたちのどんな姿が見れたらその授業としての成功なのか、そんな思いや子どもたちの姿から聞き出し、授業を作っていく。


iPadをどう使うか、ということはほとんど話すことはない、そうやって子どもの姿から授業を作り、さらには思い描いていたところよりちょっと高い位置にその授業の到達点を設定し、iPadを使わなければ達成できない課題を作ることができれば、そこにiPadを使う必然性が出てくる。





学習環境としてそこにある以上、使うことは当たり前のことで、効果的じゃないから使わない、という判断は子どもたちがすべきである。授業の達成目標や到達点をアップデートすることは当たり前なのだ。


そんな中で、授業の上手い先生に出会うことがある。そんな先生の授業は見ていてすごく安定感がある。もちろんそもそもの学級経営の地盤がしっかりしていて、教室の中で子どもたちが安心して過ごせていることが前提としてある。


さらには子どもたちと先生の距離感がいい塩梅になっている。単なる仲がいい、とか馴れ合いの感じではなく、学びのファシリテータとしての先生がそこにいて、子どもたちも自律的に学ぼうとしていて、先生に求めることのレベルも高い。概ね自分たちで解決できることは最後まで頼らずやりきっている様子が見られる。そして先生も、そんな子どもたちの様子をしっかり看取りながら、いい距離感でいるのだ。


グループワークや学び合いの時間が始まると、そういう先生たちは途端に忙しそうにしている。それぞれのグループで、どんな話が展開されているか、停滞していないか、拾い上げるべき言葉がないか、緻密に計算しながら、時にはメモをとりながら様子を観察している。


言葉をかける時も、なるべく低い姿勢で子どもたちの目線にあわせて言葉をかけている。子どもたちに任せる、ということはきっとそういうことなのだ。時間としてはたっぷり子どもたちに渡すけど、実はその中身の細部にまで気を配っていて、しっかり全体を掌握している。





そして、その与えている課題は、チームでないと解決できないものだったり、iPadを使わないとクリアできないものになっていたり、ちょっと高めのハードルを設定している。そういう所作も含めた全体設計ができる先生を増やしていきたい。若い先生たちはもっとたくさん授業を見て、そのテクニックやものの考え方、子どもたちの看取り方、授業デザインをしっかり学んで欲しいと思う。


そんな先生たちをもっと発掘して、どんどん表に出していきたいと思う。そのためにはまだまだ現場にたくさん行き、先生たちと対話し、授業を見ることができる位置にいたい。

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