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  • 執筆者の写真Toshihiro Doi

管理すべきものか自由で創造的なものか

今週は福岡で1本研修があった。対面で3時間、という久しぶりのお仕事だったものの、自分もとっても楽しくできた。やっぱりリアルに空気を感じられる研修はありがたい。あとは大分にいて全国各地の仕事を、分刻みにこなす1週間だった。それぞれの案件で話すことは全く違うし、置かれている境遇や困りも多様だ。とはいえ、みんな一様に「子どもたちのためにどうすべきか」という思考で考えている人ばかりで、そういう人たちと仕事しているとネガティブな思考にはならない。


季節も確実に移り変わっていて、夏至の大分は8時近くまで明るく、暑い。台風のニュースもあって、いよいよ夏が近づいている。今週のブログは「管理すべきものか自由で創造的なものか」というタイトルにした。





今の仕事では、ありがたいことに全国各地のいろんな自治体のお仕事を同時進行で進められている。アドバイザー、コーディネータ、スーパーバイザー、などなど言い方は様々だが、概ね教育委員会のお手伝いや、現場の先生方の育成というお仕事だ。


抱えているモデル校もたくさんあり、多くの自治体で小学校、中学校にそれぞれモデル校がある。定期的に訪問したり、オンラインで話を聞いたり、方法は様々だがいろんな学校に関わることはとても楽しい。元々小学校の教諭だった私は、小学校の世界で起きる様々なことは完全に想定内だし、先生たちの思いも容易に理解することができる。


ただ、中学校に関しては知らないことも多く、イメージで捉えている部分もあったかもしれない。我が子が高校3年、中学校3年、2年という状態になった今、子育てを通して中学生を理解している。同時に今年度PTA会長として、さらに学校に関わる場面が増えていることも大きい。





中学校で直面している目下の課題は、ルール作りではないだろうか?小学校にも同じようなことは言えるが、特に中学校では生徒指導の側面とタブレットの利活用の狭間で困りを抱えていることが多い。国の方針では持ち帰りや、文房具としての活用、学校だけでなく家庭や社会教育の領域での活用も推奨されている。それを受けて自治体の教育委員会での方向性やビジョンも、活用は当たり前で、”文具のように”という文言も多く見られる。


にも関わらず、学校のルールでは教員の指示や監視の元、勝手な使い方は許さない!という思想が標準だ。多くの教員の考え方として「iPadの使用は教師の管理の元、適正に行われるべきだ!」というのがスタンダードとしてある。デジタルデバイスを使用することで、対面でのコミュニケーションの場が喪失してしまう、という危機感すら持っている。学習以外の使用など、認められない。


多感な時期である中学生は、確かに難しい指導の場面も多く、大変なことも多い。動画を見続けてしまったり、写真にいたずら書きをして送ったり・・そういう煩わしい指導が増えるなら、いっそ全て禁止にしてしまおう、という気持ちもよくわかる。ICTに後ろ向きになる原因はここにもある。 


ただ、同時に一番可能性を秘めているのも中学生かもしれない、と感じることも多い。大人と子どもの狭間にいるこの時代、できることも小学校より格段に増え、知識も技術も大きく伸びる。だからこそその煩わしさを超えて、可能性を見出したり、認めてあげたりすることで一気に開花するのではないだろうか。





GIGAスクールの端末は、国や市町村のお金で整備された「子どもたち」の端末だ。これまでの取り扱いとは大きく違う。家庭や地域での学習の充実も含め、子どもたちの自由な発想で使える環境や授業デザインを考える、ということが求められている。自由で創造的な使い方をイメージするなら、オープンな議論の場を子どもたちにも用意し、自分たちで考えたり、ルールを作り出す、という活動もいいかもしれない。どんな風に使いたいか、使うべきかを、子どもたちの発想で考えるのだ。


情報端末は子どもたちにとっては特別なものでも、珍しいものでもない。当たり前のように身の回りにあるものだ。学校という場で、学習道具としてどんな風に使いたいか。子どもたちの方が柔軟で納得いく答えを出してくれるかもしれない。押さえつけ、管理し、守らせるだけでは創造的なものは生まれない。そんな力を育成していくのであれば、まずは教育委員会、学校、先生たちのマインドも創造的で、柔軟に変わっていくことが求められているのではないだろうか。


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